先日、メジャーリーグエンゼルスで活躍する松井秀喜選手の著書を読んだ。

前著に続き、二冊目。



シンプルな言葉が並ぶが、
逆にシンプルであるが故に心に響くものがあり、
確かに本人の書いた(話した〉ものである事が分かる。



内容の詳細はさておき、
松井選手がよく口にする言葉に、



「自分でコントロール出来る事と、出来ない事を分けて考える』


という考え方がある。




つまり、
自分でコントロール出来ない事…例えば他人の考え方や判断など…、は、
その事自体を直接、自分が変えることは出来ない。



なら、それに悩んだりする事は時間的無駄なだけであり、
自分にコントロール出来る事…自分のパフォーマンスを上げる努力に費やす、怪我を治せないなら、早く治す為に良い事は全てやる…

などに、全力を注ぐべきである、と。




これは、冷静に考えれば確かにその通りなのだが、
なかなか自分に立ち返って考えるのは、意外に難しいもの。



松井選手のようなトップアスリートがそういう考え方を披露してくれると、
逆に、彼のレベルでも、ともするとついつい自分でコントロール出来ない事に躍起になっていたり、
そういう事があるのであろう。




特に、彼などは近年怪我に悩まされ、
つい落ち込んでしまいがちだが、落ち込む事に建設的な意味は無い。


怪我を自分が治せる訳も無い。




怪我によって下がってしまった首脳陣の評価を、直接頭の中をいじって変えられる訳でも無い。




なら、自分が出来る事に集中し、
考えても仕方ない事は、パフォーマンス向上に邪魔なだけだから、考えない…




やはり、松井選手は凄い。







…で、そういう考え方に関連して、
最近、日常の中で考えさせられる事が多い。






例えば、自分に対する他人の評価。


これは、
実はこの事自体は、自分ではコントロール出来ない。




人が判定、判断したことそのものを、
その人の脳内に侵入して、考え方を変えさせる事など出来るはずもない。





それを、

「そんなつもりじゃ無かった」

「自分なりに懸命に取り組んでいる」

「私は……というつもりでやってるんです!」




と言ってみても、
その人の心はコントロール出来ないのである。


どういうつもりでやってるかなんて、先方からすると全くもって関係ない。






相手がどう思うか、なんて先方の完全な支配の範疇である。







自分が出来る事は、

その人に評価されるように、
望まれている、期待されているパフォーマンスを十二分に対する発揮する事。




つまり、評価そのものはどうにもならなくとも、
評価されるべく、「期待されている、良い仕事」を、きっちりやる事だけなのである。





一度決まってしまった自分への評価は、
基本的には変えるのは難しい。

何故なら、こちらがコントロール出来ない事だから。




自分でコントロール可能なのは、
評価されるべく、結果を出すこと。


あるいは、難しい事ではあるが、
一度下されてしまった評価を、その後の何百倍もの努力で、ハイパフォーマンスを発揮して、覆すか。






何れにしろ、実は最も大切な点は、
「何を期待されているか?を見誤らないこと。」
である。




案外、そこを見誤る事が多い。






その為に、まず「相手の立場に100%、立つ」こと。





つまりは究極的、絶対的徹底的なサービス精神である。




全ての仕事の基本となる思考。






あ、冒頭の写真は、
一年経って、初めて洗車したマイバイク。


可哀そうに…


洗車するかしないかは、自分でコントロール可能〜(笑)