スポーツトレーナー始末記 〜養生指南・最上晴朗〜

コンディショニング&アスレティックトレーナーや手技療法師を生業としつつ関連業界にて幅広く活動中。トレーナー業務・スポーツ関連仕事記録・トレーニング観・人体観・健康観など。

スポーツトレーナーになるには?

情報は「検索」出来てこそ“情報”、と学習の関連性

前回のエントリーに引き続き。



「新しい手法や方法論を学ぶのは素晴らしい事だが、注意すべき点がある」


ということで終わったところからの続き。



では注意すべき点は何なのか?
それはこのポイントに関連がある。
ちょっと引用。

本質的には、身体を病んでいる人も、アスリートが競技力を向上しようとするのも、
どちらも「現状より身体の状態を良くする」ことに他ならない。


では「良くする」とは、どういうことなのか?
何のどこが、どういう状態になることを目指せば良いのか?
目的は何なのか?
それを目指すには、どのような手段、手法が考えられるのか?

…という思考の順序があり、初めて現状の自分の中には無い手法の必要性が見えてくる。
つまり、「目的」があってそれが明確で、
それから「手段」の選択に入るはずなのである。




いきなり話が変わって恐縮だが、

「パソコン(コンピューター)の、最も優れた機能は何か?」

と聞かれたら、どのようにお答えになるだろうか。



やろうとしても人の能力では限界があることも、
それを可能にしてくれる、便利な機能満載の機械がパソコンであるが、
私が考える最も優れた機能は、「検索」と「関連付け」であろうと思う。
極論を言えば、単純にデータを無造作にポンポン放り込んでも、
キーワードや日付、その他の手段で一定条件に見合う情報を素早く探し出してきてくれる。
無論、そのために必要な拡張子その他による「関連付け」も自動で行なってくれる。



人間の脳にもそれ以上の機能はあるのだろうが、
異なるのは、パソコンはそこに感情は一切無く、「淡々と」やってくれる。
人間には悲しいかな「感情」「思い込み」が介在するので、客観的には冷静に情報検索出来ない、という点であろうと思う。



つまり、様々な新たな手法などを勉強する場合、
前述の枠内の事柄を自問自答しながら情報として仕入れ、
言わば自分の中で「関連付け」しないと、あとで情報として「検索」出来ない。


例えば、「筋を弛緩させる」という事柄について、
今まで持っている情報から検索しようとしても、
勉強した時点で単純に「こういう方法論・手法」という入れ方だと、
その情報がリアルに出てこない。
出てこない情報は、実は無いのと同じなのである。
「頭が良い・悪い」ということがあるとすれば、
恐らくこういうことなのだろうと思える。



それで情報として出てこないものだから、
また違ったものを勉強しようとする。
試験に受かる為の勉強ならこれも良いが、
物事を提案したり、解決するべく勉強しているのだとしたら、
これではパソコンのデスクトップに情報を散らかしているようなもの。
また、問題解決のための情報使用ならば、実際に取り出した情報を互いに「編み」、
一つの「商品」として提示したり使用することがほとんどである。



多くのトレーナーの方から様々な質問を受けるが、
皆さん、多くの情報を持っているのだが、こういう習慣がないから、
同じような質問を、表現は異なってしてくることが多い。
この考え方があれば、かなり「類推」できるはずなのだが。



まあ、こんな偉そうなことを言っても、
私も常に出来ているわけではないが、心掛けることが大事であると考える。



情報に「共通項」を見出し、「一貫性」を持たせ、
脳の中の「情報整理タンス」に収納する。
「分かる」「解かる」とは、一貫性を以って収納できた事なのかも知れない。
(=「分解」とは「わかる」こと)


既存の共通項が無ければ、それが本当の「新しい理論」と言えるのかも。




「学習」は大事だが、「何を」学ぶのか?

トレーナーの育成に関わったり、多くのトレーナーの方と出会ったりしていて、
あらためて思うこと。


とにかく皆、「方法論」に走ったり、「手法」ありきで右往左往してしまっている現状がある。


トレーナーという仕事については、
「スポーツトレーナーになるには?」カテゴリなどで解説しているので、
よく分からない方はこちらをご参照願いたいが、
基本的には技術職である。
この世界、特にトレーニングの分野については研究が日進月歩で、
次から次へと新たなメソッドや器具が発表され、
モノによってはその為の指導資格の講習なども実施されている。


当然、勉強していくことは義務であり、
自分の技量を上げていくためには必須なのだが、
事の本質を見極めずに、単に飛びついても、
実際にクライアントが評価するレベルにまでの技量に達するのか…?は私にはいささか疑問である。


本質的には、身体を病んでいる人も、アスリートが競技力を向上しようとするのも、
どちらも「現状より身体の状態を良くする」ことに他ならない。


では「良くする」とは、どういうことなのか?
何のどこが、どういう状態になることを目指せば良いのか?
目的は何なのか?
それを目指すには、どのような手段、手法が考えられるのか?

…という思考の順序があり、初めて現状の自分の中には無い手法の必要性が見えてくる。
つまり、「目的」があってそれが明確で、
それから「手段」の選択に入るはずなのである。
極論を言えば、目的を吟味した結果、
現状の知識や技術を、考え方を捉え直すことで目的が十分達成されることも多い。
自分が今まで学んだ事柄を、再整理したり深く探求し直したりする事が、実は非常に大切なのである。


「最近、話題だから」
「流行だから」
「“品数”が多い方がクライアントが付きやすいだろうから、とりあえずアイテムを増やしたいから」
などの理由でいろいろなメソッドを学ぶ人も多い。
それらを完全に否定はしないが、
近い将来、行き詰まるのは目に見えている。
流行が過ぎれば、また次の新しい話題アイテムに向かう、といった具合に…


ま、潤沢なお金と時間があるなら、それも悪くないが。


誤解の無いように再度言っておくが、
新たに発表される最新理論やメソッドを学ぶことは非常に有効であることは確かである。
だが「理論」と銘打っても、実は「理論」ではなく
あくまで一つの「方法論」であったりすることも多く、
「それによって人体に達成される事柄、現象は何か」
を考える習慣を持っておかないと、
方法論だけが蓄積されるだけで、整理しきれなくなり、
情報として「使えない」ことになりうる。


つまり、新しい方法論を学ぶには、前提として考えておかなければならない事があるのだ。
(「理論」は別)


長くなったので、続きはあとで




「無意識」を「意識化」する、と自転車練習

今日も午前に患者さん、
午後はパーソナルトレーナーの養成講座、
夜は再び患者さんの施術、とフル稼働。
そんなに稼いでどーすんの?…って、そんなに稼げてませんから。
スイマセン…



ここ最近、改めて人に物事を「指導する」ということを考える。
(大抵、飲みながら。今日も。)


知識があって、その事柄が自分で出来るということと、
それを人に教えることは別問題。
特に、自分がすでに無意識に出来てしまっていることは、
自分が出来なかった時代のことが忘れ去られてしまっていて、
今現在出来ない人の立場に成り切れない。


つまり、自分が無意識に出来ている部分が多くの人にとって重要な部分なのだが、
その最も重要な部分が無意識に出来てしまっている、という事実に自分が気付いていないので、
結局、人に指導する場合、その人の根本的な問題点に気付いてあげられない場合が多いのである。



このことは、恐らくトレーニング指導でも、
施術行為でも、はたまたビジネスコーチングのような人材育成や教育全般において、共通のことと思われる。


これは自転車の乗り方を教える行為に似ている。
人によっていろいろ方法論はあろうが、
自転車に一度乗れてしまうと、一体何が難しかったのか、その感覚を言語化するのは意外に難しいようだ。
自転車に乗る行為で最も難しい点は、
二輪という状況でバランスをとるという行為と、ペダルをこぐという二つの行為を同時に行わなければならない点である。
また、バランスをとる為にはある程度の推進力を得なければならない。
(ジャイロ機構)
推進力を得るためにはペダルをこがなければならないが、
ペダルをこぐときは、瞬間瞬間で右に左に足の力がかかり、
それを相殺しつつバランスを保つにはハンドルを握る手で微妙に平衡を保つように調整しなければならない。

…と言うように、実はかなり複雑な行為の集合体なのである。



つまり複雑な行為が重なるので、
練習の基本はどれか一つの行為に集中できる環境にしてやることが必要になる。
最も適しているのは外力で推進力を補助してやり、
まずはバランスを保つことだけに集中させてやることが得策と思われるが、
そういう時、多くの大人がやってやることが「後ろから押してやる」ことである。


だが、この方法には問題がある。


後ろから押す、という動きは、
当然人が走ったりして押すことになるが、
人が押すというのは二本足での歩行が基本になるので、力の掛かり方に強弱が表れる。
ましてやまっすぐ押すのは意外に難しいもの。
つまり「推進力」が一定し難いのだ。
ならばむしろ、恐怖心を感じない程度の緩やかな傾斜を利用した方が、慣性に基づき推進力が一定になり、乗っている方はバランスをとることに集中しやすい。



それさえ慣れて出来るようになれば、
あとは「どの程度ペダルを踏めばどれぐらい力が掛かり、それを調整するにはハンドルにどう力を加えれば良いか」
が分かってくる。


つまり、指導の基本は、
「それが出来ない要因の内、最大の問題点の見極め」と、
自分が「無意識に出来ている感覚」があるとするならば、
その無意識の部分を自分で認識し、それを「意識化」し、さらに「言語化」することにある。


もちろん、長嶋茂雄氏のように
「キュっキュっ」とか「ブアーっと」などの感覚表現で伝わることも(人も)あるが、それは稀なケース。
もちろん、全てが言語のみで伝わるものではないが、
まずは「無意識」→「意識化」→「言語化」を簡単に放棄せず、常に模索していかなければ、プロへの道は厳しいのである。






たまにはこういう有意義な時間

先日、アメフトのオービックシーガルズトレーナーの吉永孝徳さんが発起人となって、
現役トレーナーやトレーナーを目指す人たちを対象としての集まりがあった。


私はどちらかと言うと「我が道を行く」タイプで、
勉強の為のセミナー以外はこういう集会に顔を出すタイプではなかったが、
一線級のトレーナーの方がいらっしゃるということで、他の皆さんがどのような考え方をされるのか聞いてみたい、ということもあり、参加してみた。


初回ということもあり、今回はトレーナーを目指して修業中の若い人の悩みなどを聞いて、
それに対してベテランの方が考えを述べたりアドバイスをする、というスタイル。


若い人たちの悩みの筆頭は、やはり
「どのようにしてチームなどのトレーナー職に就くか?」
であった。
ま、予想通りで。
何と言っても、そこに尽きるでしょうな。


それに対してのアドバイスは、やはり私同様、
「人と人とのつながりの中で、情報を得ていくしかない。結局は人間力。」
といったことであった。


やっぱりそうなんだよな〜、と確認できたことは収穫であった。


今の日本において、トレーナーで食っていくにはまだまだ無理があるのが現状で、
トレーナーという部分にコストは掛けたくない、というのが、多くのチームの本音。
個人で稼げるプロ選手や、一部のチーム以外は、
必要なことは分かっていても、そこまで経費を掛けづらい、ということだ。


トレーナーを目指す人は、まずそこを理解しておく必要はあるだろう。


以前のエントリーでも書いたが、
既存のスタイルではない(チームに付く、とかでは無く)トレーナーの在り方を、
それぞれが新たに構築していく必要があるだろう。


その為には、そもそもトレーナーの仕事というものの枠組を自分で限定してしまっては、
自分で活躍の範囲を狭めてしまうことに気付かなければならない。
先人の考えを拝聴するのももちろん大事だが、
若い発想に期待したいものだ。


もちろん、あたしだってまだまだ…






パートナー(ペア)ストレッチの基本 3

すっかり間が開いてしまった、「パートナーストレッチの基本」シリーズ。


2ヶ月間、8回コースでのワークショップも今日で終了した。
何はともあれ、受講生の皆さんお疲れ様でした。
仕事や家事の合間をやりくりしての参加はいろいろ大変だったと思います。
ですが、このコースでおこなった内容はまだほんの「入り口」。
時間の都合で網羅できなかった細かいテクニックもあるし、
何しろ人の身体を扱うには「手馴れ」が必要です。
微妙な角度なども、思考錯誤して自分で見つけていくしかありません。
ぜひ学んだ技術を錆びさせることなく、実践の中で精進してください。



さて、以前にパートナーストレッチ指導の“基本”について、


ゞ擇痢峙始」と「停止」を離すことがストレッチ、と心得る。
∩蠎蠅亮蠡を出来るだけ自分の身体の“近く”に把持する。(相手に近づく)
A蠎蠅卜呂魍櫃韻觝檗⊆分の“体”でおこなう。(手だけでやらない)
ち蠎蠅亮蠡を持つ際、出来るだけ“2点支持”でおこなう。
グ幣紊盍泙瓠⊂錣法屬いに楽をして出来るか?」を考える。

と書いた。

すでに
ゞ擇痢峙始」と「停止」を離すのがストレッチである。
∩蠎蠅亮蠡を出来るだけ自分の身体の“近く”に把持する。

については解説しているので、続いて、

まずは
A蠎蠅卜呂魍櫃韻觝檗⊆分の“身体”でおこなう。

についての解説。



この留意点の理由は、まずは手だけで力を加えていくと、自分が非常に疲れてしまうということ。
うまくクライアントがつかめると、一日に何人もの人をストレッチしなければならない。
それを手だけでやっていたのでは、自分の身がもたないのである。
(実際、10人ぐらいやってみれば分かります)


それと、最大の理由が「再現性の問題」。


手だけで扱おうとすると、力の加減や方向が一定せず、ぶれやすくなるのである。
もちろん大きな力も掛けることができない。

これは、△痢崋分の近くに把持する」にも通ずるのだが、
言いかえると、自分の身体の“中心近く”で扱うのである。


料理人の包丁さばきや、ラーメン職人の湯切りも、
手だけでやっているように見えて、実は身体の中心近くで身体全体を使ってやっている。
そうすることによって的確に効率良く力を加え、且つ再現性をもって仕事がおこなえるのだ。


話がやや飛躍するが、画家もそうだし音楽家も同様。
手だけで用具を扱う人間に一流は存在しない。
もっと言うと、「自分の身体の中心軸を明確に認識できている」。
われわれトレーナーの仕事で言えば、テーピングを巻く時も同様だ。


ちょっと話が難しくなったが、何事も手先だけでやらないことが肝要である。



次にい痢崛蠎蠅亮蠡を持つ際、出来るだけ“二点支持”でおこなう」について。


ストレッチの技術に注意が行きがちで、人の身体に対する配慮が欠けてしまうことがよくあるが、
例えば相手の足を持ち上げる場合、片手で持ち上げた時と足部と膝辺りの二点を支持して持ち上げた時、
明らかに持ち上げられる側の感覚としては“安心感”がまったく違う。
特にストレッチを受ける場合は完全脱力が基本なので、
不安感を持たれてしまっては脱力することが出来ず、結果的にストレッチ効果も半減してしまうことにもなる。


あくまでもサービス業である、という観点からも、
お客様であるクライアントに出来るだけリラックスをしてもらうことを重視すべきであろう。


そして最後のァ屬いに“楽”をして出来るか?を考える」という点。

“楽をする”、というのと“手を抜く”というのは明らかに異なる。
自分が楽に出来る、ということは、無駄な動きや力が入っていないということである。
楽に出来ていれば自分に余裕が生まれ、様々な箇所に気を配ることもできる。
また、自分が楽に出来ていれば、同時に相手もリラックスができるものなのだ。


以上、いろいろ述べてきたが、
結局はすべての身体動作、もちろんスポーツ動作にも通ずるものばかりだ。
つまりは「真理は常に共通している」ということが言えるだろう。

パートナー(ペア)ストレッチの基本2

前回に引き続いて、備忘録。


基本△痢崛蠎蠅亮蠡を出来るだけ自分の身体の“近く”に把持する」(相手に近づく)
ということに関して。


これはストレッチに限らず、私がやっている手技療術やマッサージなども共通のテクニックだが、手先だけで相手の身体を動かしたり圧したりするのではなく、
最終的にコンタクトするのは手だったとしても、あくまで自分の身体で力を加えていく、ということである。


文章のみでは分かりにくい話になるが、
まず、手先だけでやっていると相手に掛かる力が一定しない。
何よりも手先だけでは大きな力を掛けられないし、数人こなしただけでヘトヘトになる。
効果の面からも、自分の身体を守る点からも、
自分の「中心軸」で常にコントロールする意識が大切である。


余談ではあるが、サッカーの一流選手では、
ボールを扱う「場所・距離」が違う。
常に自分の中心近くで扱うので、
相手から奪われることも少ないし、スピーディーにボールをコントロールできる。


相撲の押しでも手先で押す力士はいない。
必ず「脇」を締めて、手は身体の力を伝えるジョイントに過ぎない。
だからこそ大きな力を相手にぶつけられるのである。



とはいうものの、これは口で言うほど易しいことではなく、
やはり意識を持った稽古が必要である。
動きとしては、日本古来の礼法や所作に非常に近い。


己の効率的な身体の動かし方が、
効率よく相手方に力を伝える事になることを銘記すべきであろう。


このあたりが「見た目の形を真似るだけでは効果が少ない」の所以である。

パートナー(ペア)ストレッチの基本

先月からパートナー(ペア)ストレッチの指導コースを担当しているが
その際に受講者の皆さんにお伝えした“基本”を、
自分の備忘録も兼ねて書いておきたい。
(長くなりそうなので、数回に分けます)


パートナーストレッチに限らない事も含まれるが、

ゞ擇痢峙始」と「停止」を離すことがストレッチ、と心得る。
∩蠎蠅亮蠡を出来るだけ自分の身体の“近く”に把持する。(相手に近づく)
A蠎蠅卜呂魍櫃韻觝檗⊆分の“体”でおこなう。(手だけでやらない)
ち蠎蠅亮蠡を持つ際、出来るだけ“2点支持”でおこなう。
グ幣紊盍泙瓠⊂錣法屬いに楽をして出来るか?」を考える。


あくまでも全体を通しての基本なので、
細かい点を挙げたらもっとあるが、私が考える重要点はこんな感じ。



最初の「筋の起始と停止を離すことがストレッチ」というのは、当たり前と言えば当たり前。
だが、それなりに勉強している人でもその辺りの認識が弱い場合が多い。
いや、知識としては当然あるが、具体的な動きの中でイメージを出来るには慣れが必要、という事だ。


こういう仕事に精通していない人の為に一応解説するが、
「起始」と「停止」とは、筋が骨に付いている場所をあらわす言葉。
ゴムを両手に持って伸ばすとして、片方が起始でもう一方が停止。
身体の中心に近い方が起始となる。


つまりストレッチとは、
「起始と停止のどちらかを固定して、他方を遠ざける」か、
「起始と停止の両方を動かして互いを遠ざける」
の2種しかない。
ところが意外に、やっていると手を当てている場所ばかりが気になって、
筋の状況のイメージングがなかなか出来ないものなのである。
(手が触れている箇所ばかりに意識が行く、というのはレジスタンストレーニングも同様。)



まず大事な事は、
自分が「どこを止めて、どこを離そうとしているのか?」を常にイメージすることと、
それが出来たら「一方を止めるためにどのような手段を使うのか?」を意識する事である。
手で押さえるもよし、荷重をかけて動かないようにするもよし。



もちろん、全ての技法には「解剖学」の履修が欠かせないことは言うまでもないが、
詳細まで完璧でなくとも、付着している骨の部位の映像が「イメージ化」出来ていれば良い。
穴が開くほど、解剖の本と骨格模型とのにらめっこが必須であろう。



パーソナルトレーナーについてのご質問

読者の方から、
「スポーツトレーナーとパーソナルトレーナーは何が違うのか?」
とのご質問をいただいた。
こちらのblogをお読みいただいている、その筋の業界の方はご承知と思うが、
確かに一般の方には分かりづらいかも。


ということで、過去のエントリーでこの件について書いているので、
ご参照願いたい。


パーソナルトレーナーの現状・養成コースを一段落して

 屮好檗璽張肇譟璽福爾猟蟲繊


以上のエントリーでも書いているが、
私の考えでは「パーソナルトレーナー」とは
仕事内容というより、「契約・指導形態」であると考えた方が良い。
単価は別にしても、要は、
「アンタとなら、個別に指導をマンツーマンで頼みたいよ」
と思ってもらえる力量があって、初めて成り立つ職業となる。



ついでなので、もう少し語らせていただくと、
本当は私個人的には、「パーソナルトレーナー」という言葉があまり好きではない。
「パーソナルトレーナー」の定義を前述のように仮定すると、
「トレーナー」と名の付く人間は、全てが「パーソナルトレーナー」であるべきで、
実際に例えば競技チームに付いたりしたとしても、選手などに相対する瞬間々々は、
常に「パーソナルトレーナー」なのだ。


だから私が時々、選手などの指導で某フィットネスクラブを借りた時など、
スタッフの方に「あ、今日はパーソナルトレーナーですか?」と声を掛けられても、
実は内心、「いや、契約は“パーソナル”じゃないけど、今日の指導は“パーソナル”で。」
と言いたいが、ややこしいので「は〜い」と返事している。
だが、本来のトレーナー業務の基本は常に「パーソナル」なのである。
「パーソナル」でない形態の方が特別なのだと、私は考えている。



ゆえに、わざわざ「パーソナル」と銘打つ事に、実は違和感を覚えているのです。
ハイ。


ま、こんなことばかり考えているから、
変わり者扱いされるんですが。

雑草型トレーナー、“師”をどう選ぶか。

前回から、主に私のような「雑草型トレーナー」について書いているが、
今回は前回の内容に補足する意味で書いてみる。



もしも、何かしらのアスレティックトレーナーの資格をもっておらず、
鍼灸やマッサージ、理学療法士などの資格も無かったとしたら、
同じような境遇で、既にトレーナーとして活躍している方に、土下座でも何でもして、
「弟子入り」するのが最も良いと思われる。
これは、資格のようなものを持っている場合にも有効である。



何故かと言えば、
明確な国家資格の類いを持っていないにも拘わらず、この世界で活躍しているということは、
何かしらのオンリーワンの「武器」を持っている事を意味する。



以前にも書いたが、
究極的には、その人が持っている技術、「何が出来るか?」が勝負のポイントになるので、
まず「師」を選ぶ時は、「その人が何によって業界で活躍出来ているのか」
を十分に見極めなければならない。



もちろん、長く業界で活躍されているということは、
少なからず固有の競技や団体と太いパイブは持っているはずなので、
そういったある種の「コネ」のようなものを期待する事は、
決して悪いことでは無い。



確かに、その先生の人的つながりで活躍の場に有り付けて、
そこで実践的経験を積む事で能力を向上させて行くことも、非常に有意義な道である。
だが、経験だけをすれば良いというものでも必ずしも無く、
やはり「基本的な考え方」はどこかで叩き込まれる必要があるし、
どこででも生きていける技は、
やはり「人」から学ぶことが必要不可欠であると思う。



良い「師」に巡り会う為には、
絶えずアンテナを張っておく必要がある。
その上で、その師の表面的なものだけを見るのではなく、
その人が持っている技量
(技術、人徳、人脈など)をしっかり見て行けば、
自分にとって無二の技術が磨け、
一生涯錆びることのない「財産」が得られるはずだ。

雑草型・弟子入りパターン




前回までは、どちらかと言うと「王道型」について書いてきて、出来るだけそちらに進むよう薦めて来た。


今回からは、私もそうであった「雑草型」について書いてみたい。
ただし、これはどちらかと言えば「イバラの道」であり、
困難な道であることをご理解いただきたい。



このパターンで最もポピュラーなのは、
既に「雑草型」として活躍されているトレーナーの方に「弟子入り」して、
様々な技術を現場で身体で叩上げていく方法である。



この場合、「師匠」の選び方が重要で、
大きく分けて二つのパターンがある。

‖召猟豹錣魑さぬ、何らかの凄い技術を持っている。
(指圧、マッサージ、整体などの、“治す”技術など)

何らかの競技団体などと太いパイプを持っている。
(いずれかの競技のオリンピック強化スタッフなど)



前回までに書いたように、
「雑草型」の方々は、
何らかの施術技術を持って生業としている方が多く、
その技術を学べる事は、トレーナーの道が頓挫したとしても、
それで「食える」事にもなり、長い目で考えた場合、プラスになる事が多い。


また、既に書いているように、
まだ日本では「治す」事をトレーナーに期待する風潮が根強く、
やはり引っ掛かる可能性が高まる。


人間、結局は「食って」行かなければならない。
例え鍼灸などの国家資格を持っていても、
それだけで食えるわけでもなく、
固有の技術が無ければ生きていけないのがこの世界なのだ。


△痢峅燭蕕の太いパイプ」とは、
今の時点からでは何かの「アスレティックトレーナー資格」を持っていないと、
「オリンピック強化スタッフ」に名を連ねることは難しいが、
昔からの流れや繋がりで、そのような立場に就いている方も未だにいる現状がある。
そういう師匠に付ければ、様々な人脈が広がり、活躍の場が広がる可能性がある。

(人に紹介を受けて、たまたま診たオリンピック選手が、施術の経過が良く、それが評価されて、そのまま強化スタッフに就任して今日に至る、という例もある)

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