スポーツトレーナー始末記 〜養生指南・最上晴朗〜

コンディショニング&アスレティックトレーナーや手技療法師を生業としつつ関連業界にて幅広く活動中。トレーナー業務・スポーツ関連仕事記録・トレーニング観・人体観・健康観など。

スポーツトレーナーになるには?

イイ歳こいて、恥を知ったコト…

ebabe23d.jpg
写真は本文とは全く関係ありまへん…



これは、ジャンプ選手のトレーニングの一コマ。



ま、企業秘密という内容でもないんで、
挿し絵として載せまひた…










実は、恥を晒すようですが…





先日、とあるアスリートを指導していて。




大変、お世話になっている方からの紹介の選手で、
この日が初日。




コトは、指導報酬の清算の際。





お世話になっている方からの紹介なので、一回分はサービスをしようかと考えており、
その旨を伝えたところ…





「いや、最上さん、
お言葉に甘えたいところですが、
やはりプロの方にお時間をいただいて指導を受けたので、
ここはキチンとお支払いさせていただけませんか。」





と。






いやあ…




私は、自分の顔から火が出るほど、恥ずかしかったですわ。






アスリートもトレーナーも、互いにプロ。




トレーニングを指導するのも仕事なら、
それを実践し、己れの競技に活かすべく咀嚼&消化しようとするアスリートも、またプロ。






正当な報酬はキチンと受け取る事で、そこに明確な責任が生まれ、
相手方の利益を目指し真剣に、サービスを受けた側も自分のパフォーマンスを最大限に高めようと…





…という、互いが自分の仕事に真剣に相対している、という証明と覚悟を示す意味で、

むしろ、正当な報酬を受けない、というのは、
場合によっては無礼な行為とも言えるのである。






「金を取る自信が無いような商品を、お前は提供しているのか」




と、思われても仕方ない行為であるのだ。






そんなこと…十分分かっているはずなのに、





心に隙があると、こういう表面的な対応を…






海より深く、反省。







キッチリ正当な報酬は頂戴し、
その何倍にも相当する成果に繋がる商品を提供するのが「プロ」である。






いい歳こいて、今さらながら若いアスリートに教えられた。







またまだ、修行中…

「コミュニケーション」に翻弄されている方々へ

報道などでよく目にする、
就職戦線の厳しい現状。



不景気で採用を絞る、という面も当然あるが、
それでも内定が取れる学生は幾つも取れるし、
取れない学生は100社受けても取れない。




様々な理由はあろうが、
情報を整理すると、学生に社会が求める「最低限の」能力は次の二つに集約出来る。



ヾ霑坦慘

▲灰潺絅縫院璽轡腑麈塾




基礎学力に関しては私も人の事は言えないが、
ある記事によると、大学院生に小学校の計算問題をやらせたら、
正答率が50‰程度だったそうな…





これに関しては、かの
「ゆとり教育」問題が大きく影響しているのは明らか。





…とは言うものの



ゆとり教育世代でも、ちゃんとした優秀な学生もいるのも事実…






そのことについてはまた場を改めるとして、
今日のメインテーマは△痢屮灰潺絅縫院璽轡腑麈塾蓮廚砲弔い董









学生を指導していたり、
企業の若手スタッフを教育していて、この事は強く感じる部分である。



(若手、のみならず、ベテランでも怪しい輩も多い。
売り手市場で、たまたま無能ぶりが露見せずに、トシだけ喰ったか…?)






コミュニケーションについては、このブログでも何度か書いたが、
改めて書くと…





「コミュニケーション能力」

と云うと

「話し上手」

をイメージしがちだが、
必ずしも最上位に来る要件ではない。





むしろ大事なことは、
「聞く能力。」


言わば、「傾聴」である。



それがまずは前提となる。





何故ならば、
コミュニケーション能力とは、





「自分が言葉を発したり、行動を起こす事で、
相手にどういう反応をして欲しいのか?どういう行動を起こして欲しいのか?…
を先に考えて、
それを引き出すような発信が出来る能力」




と云える。





つまり、



「意図を汲み取らせ」

て、

「反応を引き出す」

能力。







話が上手かったり、プレゼンに長けている事は有利ではあるのだが、


それによって、相手にどのように行動して欲しいのか?

その為には、自分のキャラクターを鑑みて、相手の置かれている状況や性格まで考慮し、
どう話したら良いか…?





…と、コミュニケーション能力とは、
逆算的にで頭の中で考えられる事なのである。





全てでは無いものの、
プレゼンが上手い、と言われている人は、

「今日伝えなきゃいけないことは……だから、
こういう構成で、こうすれば、拍手喝采間違いなし!」



と、先方の視点が抜け落ちている場合が意外に多い。



「私が申し上げたいのは…」


なんてのは、ディベートは上手いだろうが、
全く心に響いて来ない。






つまり、
プレゼン上手、なんて持ち上げられて、
ただの自己満足オッサン・オバハンだったりする…






先に、コミュニケーションの基本は「傾聴」である、と書いたのは、そういう意味である。




聞く、と言うのは言葉だけでなく、
「汲み取る」。



つまり、

「相手の立場に100%、立つ 」。

と云うこと。





これが究極のコミュニケーションの達人である。




その為には、やはり出来るだけ多くの人に接する。


且つ、決して流さず、意識を持って人と付き合う。





その連続でしか、
コミュニケーション能力は磨かれないでしょーね〜







…と、エラソーに云ってる私も、まだまだ。





いつまで続く、修行の道…

最近の指導者を見て「危ういな〜」と想うこと

イエね、あたしだって決して偉そうな事は云えないんですが…






昨今は、昔と比較して、様々な新しいトレーニング理論やメソッド、
エクササイズプログラムが作られ、発表されている。




指導者たちは、金銭さえ払えば、
そういったものをセミナーやワークショップ形式で習得する事が出来る。


場合によってはビデオや書籍などによっても。







そういう意味では、
今の若い指導者の皆さんは、
かなり知識レベルは高い。


私の同年代の時代と比べても、
話にならないぐらい
の力を持っている。








ただ…







これは個人的にドーカと思っているのだが…








簡単に人に「教えて」しまう、



…という点がどーにも気になる。









例えば、私があまり経験のない「サッカー」を一定期間教わったとして、
それをすぐに他人に指導出来るか?…と
言えば…





そりゃ〜無理に決まってますわな。







もちろん、スポーツのような技術的な熟練が必要なものと、
エクササイズやトレーニングメソッドを指導するのとでは意味が違うのは理解出来るが…







例えば…





私事にはなるが、







私も色々な、高名な先生方の教えをいただきに出向いて来た。





だが、教えを受けて、
それをすぐに人に指導する、


なんて事はしたことがない。






というより、「出来ない」。





ある期間、自分がそれを実践し、
自分の身体に変化が表れたり、感覚の変化が感じられないと、
基本的に「指導」は有り得ないと考えるからである。








だから、私はそれほど多くのメソッドを習得はしていないし、
出来ない。






だが、人体に何らかの変化や実感を得ていただくのは、
その根本に「共通項」があるはずなので、
それが見いだせれば、あとは枝葉の部分であると考える。





「手段」のみに走らず、「目的」の追求に徹する…








…ただ、私のような立場の人間はそれでも良い。







特に、フリーのパーソナルトレーナーも含め、
フィットネスの現場にいる方々は、
現実問題として、そんな悠長な事は言ってられないのも事実。





一般民衆は、「飽きる」のが早い。






次から次へと新しいもの(新しく見えるもの)を提案して行かなければ飽きられるし、
新しい顧客を獲得出来ない。







それは十分理解出来るが、
新しいものを入れる為に、インスタント的に指導者を生み出し、
本人達も違和感を感じる間も無く習得(したかのように錯覚)し、
また新しいものが出てくれば古いものは忘れ…








まるで、マスコミのようである。






次から次へと新しいニュースが発生する中、
視聴者の餓鬼のような欲望に応えるべく刺激的なニュースを求め、
あれだけ大騒ぎし、重大だったニュースの後追いはほとんどなされず、
正にニュースが「使い捨てられていく」。









それと、全く同じ。








理想論ばかり振りかざすつもりは毛頭無いが、
それで本当に真の指導者が育つのか…?






実は、新しいメソッドを伝えているのは、
ベテランの指導者たちである現実。






これは結局、政治の世界と同じ構図になっている。







「国の仕組みというのは、
結局は頭の良い人が、頭の悪い人に分からないように、
わざと分かりにくくごまかして作るもの。
だから頭が悪いと永遠に騙され続ける。」




と、大ヒットしたマンガ、
「ドラゴン桜」の桜木先生が言っている。






恐らく、きっと本質なのだと思う。








誤解の無いように付け加えておくが、
全てのベテラン指導者が、どういう意図であるかは私には分からない。





また、新しいものを提案し続けて行かなければならないのも、
サービス業としては、これまた真実。








要は、理解した上でそれに乗っかるか、
ハタと気付いて自分の進む道を再度模索するか…







はたまた、私のように(笑)、
双方を理解した上で、風見鶏のように妥協点を見いだすかのようにウロチョロするか(再度笑)…







つまり、無意識はイかん…







と。






チャンチャン♪

トレーナーの本質・営業の本質・人生の本質

先日、たまたまソフトブレーン創業者の宋文洲氏のコラムを読んだ。






トレーナーの育成などをしている中で私が重視している事柄と重なり、
そういう意味で共感すると共に、非常に興味深きことが記してあったので、
ここで引用してみたい。







営業を経験した人なら分かることですが、営業という仕事は人にお願いする仕事です。
傲慢な人には営業は向きません。
人にお願いすることが億劫な人には営業を続けられません。
また、暗い人は営業を頑張ってもなかなか成果が上がりません。


さらに自分が言ったことを相手がどう感じるかが読めない人、
あるいは読もうとしない人も営業に苦労します。
断られたらすぐ諦める人も営業は出来ないですし、お客様のお叱りに過剰に反応する人も、
長く持ちません。


こうやって営業に必要な素質を並べてみると、ふとあることに気付きます。
営業に必要な素質は、実は魅力的な人間になるのに必要な素質であり、
人生そのものが営業である、ということが言えそうです。


人に一切の借りも作らない、人に何も求めない人間は、
自立しているとは言えません。
自分とは自分だけで成り立つという意味ではなく、人と世間に尽くすことで自分も生かされている状態です。


人に何も求めない生き方は必ず行き詰ります。
生きる上で、人間は必ず他人に何かを求める必要があります。
仮に求めないで生きることが出来ても、それは大変寂しい人生であり、
健全な精神状態であることは言えません。


求めることがあるから尽くす。

これが人生の本質だと思います。

営業はあたかも「買ってもらう」ことを目的にしているように見えますが、
実は買ってもらうために何をすべきか?を模索し、探求し、確実にそれを実行する仕事です。


人に愛してもらいたいから人を愛する。

顧客に買ってもらいたいから顧客のために行動する。


これが本質なような気がします。







…大変、大切なことを、上手くまとめて下さっているな、と思わず感心。

こんなこと言うと、あたし偉そうですが。





私のような人は結構多いと思うが、
若いころは「営業」という仕事に拒絶感があった。


人にペコペコ頭を下げて、モノを買ってもらう…

というイメージで、あまり好きになれなかった。



そういう感覚で営業職に就いている人は今でもいるだろうが、
実は営業という仕事は大変クリエイティブで、多くの能力の集合体の仕事であることが分かってきた。




私はトレーナー、施術師として30年近く、長く生きてきて
その間にはその職で会社員経験もした。


自分では「職人」としての意識が強かったが、
結局、やってきた仕事の大半は「営業」であった。


結果として。


頭を下げて売れるならいくらでも下げるが、
そんなことで売れるほど、世の中は単純に出来ていない。


結局は自然にそれを考え、
工夫した、というほど考え込んだ意識はないが、結果として何が足りないかを考えていたようだ。




自分でうまく文章化出来なかったが、宗氏の書かれていたことが、
まさに私が表現したかった内容であった。





宗氏は最後に「営業が上手い人は女性にモテる」と書かれていたが…















そういう意味では、私はまだまだ…   ということか… (涙笑)


パネルディスカッションで伝えきれなかったこと

本日、NESTAプレゼンツのパネルディスカッションが無事終了。


私以外はパーソナルトレーナー業界のビッグネームばかりで、
ましてや私はパーソナルをメインの活動にしていないこともあり、
端っこの方で思いっきり小さくなってまひた…



パネラーの方々は皆さん、結果を出されている方々なので、
どなたも自信満々。(少なくとも私にはそう見える)
なので私は発言を躊躇する場面もあり、
ちょっと言い残したことがあったので、こっそりこちらに書いてみたりして。



って言うか、他の場面で長く話してしまって、
ちょっと遠慮したんですが…



参加者の方からの質問で、
「どのようにクライアントを獲得したり、増やしたりしたら良いのか?」
というものがあった。



ほぼ全てのパーソナルトレーナーが、こここそ問題で、
これが聞きたくて色々な先人の話を聞きにくるのだと思う。



他のパネラーの皆さんも当然的確に答えてらして、
基本的に皆さん、「口コミ」。


これは私が解釈するに、
つまりは


「目の前の仕事、クライアントに対して全身全霊で立ち向かい、
最良の結果を出すことに死力を尽くすこと」


なのだと思う。


もちろん、いわゆる営業活動は大切だろうし、
チラシを撒いたり知人に電話を掛けまくるのも必要だろう。



だが、仕事を始めてただの一人もクライアントが来ないことは有り得ない。

その人の為にどこまで全力を尽くせ、
且つ望まれる結果を出せたか。

あるいは、「こいつなら結果を出してくれそうだ」
と思わせたか。


結局はこれに尽きるわけで、それが出来れば一人が二人に、
二人が四人に、四人が八人に…


ということでしかない、とパネラーの皆さんは言いたかったに違いない。



…と勝手に解釈した次第である。






と、それに加えて。



ここから先が、あたしが言おうと思って言いそびれたこと。



「アウトプットをしよう!」


ということである。



アウトプットと言うと、
まずシンプルに考えられるのは、

セミナーをやる。

学校などの講師をやる。

雑誌に出る。

テレビに出る。

本を書く。


などなど…



確かに、セミナーなどはやる気になれば、すぐにでも出来なくわない。
集まるかどうかは別にして。


どこかの学校の講師になる口も、いまはスポーツ系の学校が増えてはいるので、可能性は無くはない。


他の雑誌に出るとか本を書くとか、テレビに出るとかは、
確かに難しいかも知れない…



ただ、セミナーや講師も可能性はあるというだけで、
現実問題として考えたら簡単ではないのかも知れない。



だが、現代は大変便利な時代になっている。



それは、「ネット」の存在。


誰もがその気になれば、blogやその他、
簡単に不特定多数に対して情報発信者になれるのである。


これは20年前なら考えられなかったこと。


ただし、私がこういう意味は、
ネットで発信して、それを見てくれて連絡をくれる人を期待しよう、という意味ではない。

(もちろん、そういうラッキーな場合もあると思うが)



私は物事というのは、水泳で云う「息継ぎ」のようなものだと考えていて、
(というより実感している)
吐かないと空気が入ってこない。
吐けば吸おうとしなくても、勝手に空気が入ってくる。


そんなものだと思うのである。



情報でも、あるいは日本のどこかにいるであろう自分を求めているクライアントでも。



また、ネットで何かの発信をするということは、
基本的に文章を主体に発信することになる。


最初は拙い内容でも、徐々に書くことになれてくる。
こなれてくる。
ましてや少なからず誰かが読んでくれて、その上反応までしてくれると、
向上心が芽生えてくる。
向上心は反省と共に育つもの。



こういう経験を積んでくると、実際の生身のクライアントに対しての表現力も増してくる。


私が実はこのblogを4年前に始めたのも、これが理由である。




ただし注意は、
最初は日記的なもので良いと思うが、
出来れば自分が専門と掲げる分野について、自分なりの見解を述べる場であった方が良いと思う。


毎回でなくても可。



ま、ほぼ8割がどーでも良い、くだらない内容を書いているあたしが言えた義理ではないが…




とにかく…




何らかの形で「アウトプット」をしよう!


考えよう!



そういうことでは、現代は大変便利な時代なのである。



もちろん、ネットでなくても構わない。



何かをアウトプットすることが大切。




そうすると情報や人が集まってくる。




まずはやってみることで、
恐らく私でさえ未だ気付いていない「何か」が得られたり、変わったり…



動かないと、現状は変わりまへんで〜




リスクないなら、「アウトプット」やってみなはれ〜

トレーニングにおける量と質の関係

フィットネスセッションの一コマ目が終了。


今回はドリル形式だったので、
あたしの悪いクセ、時間超過もほとんど無く、
まあまあ予定通りに進行。



ドリル内容は、金銭をいただいて受講いただいた方々に申し訳ないので、ここで詳細を明かすことは止めておくとして、
私が力点を置いたのが、
「トレーニングは『量と質の掛け算』である」
という点である。



トレーニングにおいて、その量というのは絶対に必要。
だがその質が高ければ高いほど、効果はその積の分だけ大きくなる。



だが逆に、質が0なら掛け算で効果はゼロ。
それどころか、もし質が限りなく低く(意識の仕方やポイントがズレている、など)
マイナス一や二だと、掛け算によって効果はマイナスになっていく。


つまり質が低いと、ゼロならやってもやらなくても同じ。
さらに質が低いと、やらない方がむしろ良い、という恐ろしい結果になる。


さらに恐ろしいのは、質が低くても、それなりに達成感や満足感があることだ。
それは多くの場合、余程本人の感覚が鋭くてもアスリート本人には分かりにくいということだ。


だから指導者を選び間違えると、とんでもないことになりかねない。



ゼロならばまだ良い方、
やればやるほど、ましてや掛け算だから、その量が多いほど、
実はパフォーマンスが上がらないどころか下がっていく可能性もある。


本人がマジメであればあるほど…




アスリートの皆さん、
満足感も大事ですが、
常に「質」も怠りなく確認しましょーね〜

「自信を持つ」ことと「慢心」の境目

妙に自信満々な若者に会うことがある。
恐らく自分なりに思考し、努力していることは推察出来るので、それを非難はしないが、
一歩間違えてしまうと、自分の成長を妨げてしまうことになる。


春のクールでフジテレビで放映されたドラマ「医龍」。
その中で、印象的なセリフがあった。



優秀な外科医の条件は「臆病であること」。
それと、それを認められる「強さを持っていること」。



自分がそうだ、などと偉そうに言うつもりはないが、
私はいまだに自分に自信がない。
患者さんやクライアントの方が読んだら誤解されるかも知れないが、
いまだに「これで良いのか?」「本当に最適な方法か?」
と、迷う日々である。


確かに、「自分に自信を持つことが大事」というのは、
それは最終的にクライアントなどに何かを施す直前ではそうだが、
普段は常に迷っている。
自信もこれっぽっちも持っていない。


だからこそ、自信満々の若者を見ると、
純粋に、うらやましい。



だが、迷いが無いのも怖いもの。


迷うから、まっさらな気持ちで人の話を聞ける。
臆病だからこそ、全ての人から何かを学ぼうとする気持ちを持つことが出来て、
向上したいと思う気持ちを維持出来る。


その反面、自信のないトレーナーや治療家に身体を託そうとするクライアントなどいるわけもない。


自分にとっては、永遠のジレンマ。


以前に、「自分以外はすべて自分に対する教師」というエントリーを書いたが、
自信を持つ中にも、多重人格的に「臆病」な自分も住まわせておきたいもの。


説教するつもりは毛頭ないが、
若い人にもその気持ちと、「すがすがしい謙虚さ」を持って歩んで行ってほしい、


…と思うのであった。


パーソナルトレーナーへの道、心得の条

2年以上もBLOGをやっていると、
題名をつける時に「前にも同じ題名で書いたかも?」
と思うことがしばしば。


この題名も過去に使ったかも 知れないが…


確認するのも面倒なので、このまま行きますわ…




さて、昨日で3カ月に及ぶ「パーソナルトレーナー養成コース」が無事終了。
受講されていた方は、仕事のスケジュールを調整したり、何かを辛抱して参加されていたはず。
長い間、お疲れ様でした。


以前は任されたコマだけを講義すれば良かったが、
主任講師としてカリキュラムから運営までを任されると、
受講者の最終認定の合否や、もしかすると卒業後の行く末まで責任が生ずることになる。
そういう意味では、ある種のプレッシャーを感じざるを得ない。


先日、高名なパーソナルトレーナーの方と話す機会があったが、
「パーソナルトレーナーが売れない、という声も聞くが、自分の実感としては至るところにニーズがあり、潜在需要は計り知れず、もっとパーソナル専門の人が増えるべき」

と話していた。




私は現在は、パーソナルを活動の主体にはしていないが、
パーソナルトレーナーと言うと、どうしても
「神技のような指導テクニック」
が不可欠のように考える人が多い。



確かにそれはあるに越したことはないのだが、
どんな技術も使いこなせなければ「無い」のと同じ。
単に目先を変えてクライアントを一時的に引き付けるのは、
長い目で見た場合は得策とは思えず、
第一、そこの浅い技術や知識は、あっと言う間に見透かされる。



そういうことよりも、
当たり前のことをオーソドックスに、
親切心を以って、基本的に「愛」を全面に出して、
そのクライアントにとってベストな事柄を提供する、
「情報選択」の能力が必要だと思う。


例えば格闘技などでも、
様々な技を使いこなせたとしても、
実際に相手を倒す技は、せいぜい一つか二つ程度のもの。
むしろその技に持っていく過程が重要だったりするのである。


私は、目的がパフォーマンス向上であっても、
はたまた身体の不具合の改善や除去であっても、
基本は常に、

「循環の改善」
「可動性の改善」
「平衡性の改善」

でしかない。


そのために、どうすべきか、どの技術を適用すべきか、
という選択でしかない。
一見、同じように見える技法であっても、目的によって全く異なる意味を持つ場合もあるし、
対象者(クライアントや患者)によって、
同じことを説明するのにも、違う道筋でプレゼンすることもある。
目的は常に
「理解→納得→実践→効果」
でしかないからである。


つまりは、習得した知識や技術が、
一見、オーソドックスなものに見えたとしても、
それを状況によってどのように「編む」かが問われるのだ。
いわば、優れたトレーナーは、優秀な「編集者」であるとも言える。



ただ勉強して、新しい技術を求めて業界を漂流するのも良いが、
そのような観点を持って欲しいのである。
そうでないと、いくら勉強しても「不安」は払拭できない。
常に不安なだけで、永遠にそれが続く。


この世界でそれなりに成功したいのであれば。


ぜひ皆さん、
月並みですが頑張ってくださいませ。


パーソナルトレーナーの営業活動

毎週実施している「パーソナルトレーナー養成コース」で、
先日は特に「自分の売り方」についての講義とグループワークを実施した。


項目は
「コミュニケーションテクニック」と
「セールステクニック」。


コミュニケーションについては過去エントリーにも幾つか書いているので、そちらをご参照願いたいが、
ここでは「セールステクニック」について少し触れてみる。



セールス、と言っても、私も専門に「営業マン」をやったわけではないので、
それほど偉そうに語れるわけではない。
ただ、はっきり言える事は、
トレーナーの世界でも「営業ありき」であるという点だ。
「良いものが売れる」とは限らず、「売れ続けたものが良いモノ」ということだろう。


全てを書くと、金銭を支払って受講された方に申し訳ないので、
プロローグ程度にしておく。



営業活動について大切なポイントのひとつは、
「最初から売ろうとしない」という点である。
大まかには3段階で考えるべきで、

第一段階「クライアントに“こちらの言葉を聴いてもらえる”体勢に導く」

第二段階「“欲しい”という気持ちを引き出す」

第三段階「互いに“約束”をし合う(クロージング)」



このことだけ書くと、「そんなの常識だろ」と思われるかも知れないが、
実は具体的に「売る」という意識は、最終段階の「クロージング」だけにすべきなのである。
これを第一段階や第二段階で意識として持ちすぎてしまうと失敗することが多い。



つまり第一段階のゴールはあくまで「話を聞いてもらう心境に持っていく」
ことであり、
第二段階のゴールは「この商品を“欲しい”と思ってもらう」
ということにすべきなのである。


コミュニケーションについては、こちらなどにも書いているので、
ご興味のある方はドーゾ。

探せば他にもエントリーあります。
「仕事関連考察・仕事記録」カテゴリーの中に。




頭が「片付けられない」状態に陥らない為に「対価」を意識する

昨日はパーソナルトレーナー向けのワークショップを担当。
テーマは既報のとおり、クリーンとダンベルスナッチの理論的な解説と実技。
ま、「クリーン」や「ダンベルスナッチ」などは、単なるウェイトトレーニングではなく、
「ファンクショナル&コーディネーショントレーニング」である、といった内容である。
要は「つながり」「伝わり」「連鎖・連動」の教育方法である、という意である。





それにも関連して、
これから書くことは、こちらこちらのエントリーと関連が深いので、
一部重複することをご容赦願いたい。







或るトレーナーの方からご質問で、
「いろいろな講習会やセミナーに参加して勉強しているが、
 “コーディネーショントレーニング”とか“ファンクショナル”とか、
 どのように整理したら良いか分からなくなった」
といった主旨のことがあった。
このような類のことは、多くの方が同じような悩みを持っているのかも知れない。



私の勝手な解釈だが、
「何とかトレーニング」とか「〜式コンディショニング」など、実は名前はどうでも良い。
以前のエントリーでも書いたが、
パフォーマンスを向上するために(一般・アスリート問わず)身体をどのような状態に持って行けば良いのか?がまずはありきで、
それを達成するためには筋・神経系・意識などをどうすれば良いかがあり、
そうする為にどのような手段が考えられ、それぞれのメリット・デメリットを鑑み、
ではその中からどれをチョイスするべきか?、が初めて決定されるものである。


つまり、このような思考や前段階が無く、
やみくもに、ただ単にアイテムを増やす目的のみで「手法」を吸収に行っても、
まったく無意味とは言わないが、知識としては頭にインプット出来ても、
必要に応じて「チョイス」が出来ないので、結局は「目新しさ」を与える手段だけになってしまう。


理想としては、事前に
「身体をどのようにするべきなのか?」ということを自分なりに思考・構築し、
それに見合った手法・手段を学び、それを目的別に頭の中の「整理ダンス」にしまえていれば、状況によって選択が出来る。
この事前準備・思考段階が無いと、頭の中が散らかるばかりである。
言わば最近話題の「片付けられない女たち」状態に陥るのである。


私も部屋の整理整頓については偉そうに言えないが、
結局は片付けられないのは自分なりの「ルール」が無いからである。
例えば、「読んだ新聞はその時点でこの袋に入れる」とか、
「領収書はこの引き出しに入れる」とか、そういう決め事が無く、「とりあえず」が多くなると、その連鎖で散らかることになる。
ただ、だからと言って、あまり決め事を細かくし過ぎると、これはこれでどこに収納すべきかが瞬時に判断出来なくなり、
結局面倒になって、「とりあえず」そこらにほっぽらかすことになる。



学習や新しい知識の吸収も全く同様で、
最小限の区分けで頭の中を整理し、ある共通項ごとに一貫性をもって整理しておかないと、
「情報はあるのだが検索できない」「適した情報を選別できない」ということになる。

(まさにこちらのエントリーに書いてある内容と同様)



誤解の無いように言っておくが、
勉強することはとても大切だし尊い事であることは言うまでもない。
その意欲は素晴らしいことである。
だが、「勉強」は基本的には「目的」ではない。
その勉強によって得た「情報」を、必要に応じて「検索」し、「選択」し、
利用して何らかの結果を出し、最終的には「対価を得る」為のものであるはずである。



このような状況に陥ってる方々に、改めて申し上げたい。
それぞれのポリシーに従って、「自分は身体をどのように導こうとしているのか?」を、今一度、考えてみることをお勧めする。
完璧でなくとも、曖昧でも良いと思う。
まずは一度考え、整理してみるべきである。
そうすれば、同じ目的を持つ「方法論」を重複して持つことも無くなる。


これも誤解があるとまずいので確認しておくが、
同じ目的の方法論を持っていることが悪いのではない。
ただ、そこに一貫した考え方があれば、その異なった方法論を自分なりに統合して、一つの手法として提示が出来る。
要は、「ほぼ同じ目的を持った、名称が異なる方法論」であることを認識する必要がある、ということなのである。


とにかく一度、考えてみましょう。
やみくもに新しいものに飛びつくのではなく、まず考えてみましょう。
知識・情報を、「対価」に結びつけることを常に考えましょう。



 
プロフィール
since 2004.05.16
BlogPeople List
twitter
QRコード
QRコード
記事検索
Amazonライブリンク
goooooooooooogle
月別 ・過去の記事
scripts
最新コメント
  • ライブドアブログ