スポーツトレーナー始末記 〜養生指南・最上晴朗〜

コンディショニング&アスレティックトレーナーや手技療法師を生業としつつ関連業界にて幅広く活動中。トレーナー業務・スポーツ関連仕事記録・トレーニング観・人体観・健康観など。

人体観・健康観

感情の最たるものは「嫉妬」

確か、前回のエントリーだったか…







人のパフォーマンスを最後に決定づけるのは、
「感情」である、と。






これは、何もアスリートだけの話だけでなく、
一般の皆さん、ビジネスマン、学生さんにも全て当てはまることである。







皆さんにも覚えがあろう。





運動会の前の日の緊張。




部活の試合の前日の緊張。




音楽会の前日の緊張。










この、「緊張」にも構造があり、
それを構成しているのは、全て「感情」である。








失敗したら恥ずかしい…




この試合で失敗したらレギュラーを外される…




カッコ悪い失敗したら、明日から学校来られない…




ここで失敗したら、オリンピックに行けない…










口で言うほど簡単ではないが、
これらの「感情」がコントロールされ、


「結局成るようにしかならねぇや!
へ!成すがままよ!」


と思えれば、結果はどうあれ、
自分の持っているパフォーマンスは発揮出来る可能性は高い。







ただ、難しいのは、
感情と言うのは一筋縄には行かず、
むしろ「やべー、どうしょう…」
ぐらいの気持ちの方が、直前に開き直れて、
上手く行く場合もある。





誠に感情とは、厄介なもので…








だが、
やはり最後は感情がパフォーマンスを決定づける、
ことは確かである。











で、長年、人間を見て来て、
最も厄介な感情…






「嫉妬」である。







嫉妬がきっかけになり、
それが自己欲求の火付けに繋がり、エネルギーになるのであれば、それもまた「有り」だが、
嫉妬が「嫉妬」のままだと、
あまり良いパフォーマンスに繋がらない事が多いようだ。ら






ちなみに、嫉妬と言うのは動物にもあるらしいが、
大変難しい問題らしく、
未だに答えは出ていないらしい…



と、作家の瀬名秀明さんが夕刊タブロイド紙で語っていた。







その記事の内容によると、
「嫉妬のハンドブック」なる学術書の出版を準備しているカナダ・ヨーク大学の
マリア・リガースティー教授によると、
実は生後3ヶ月の赤ちゃんにも
「嫉妬」の芽生えがある、と言うのである…!!






実験は、45組の赤ちゃんと母親、
研究室に招いて、教授が母親に話し掛けた場合は特に反応なし。




しかし母親が教授の言葉に反応して返事をすると、
赤ちゃんは足をばたつかせ、奇声を上げる…




つまり、赤ちゃんの嫉妬のサインと見て取れる、と…











今までは、嫉妬のような複雑な感情は、
二歳くらいにならないと表れないというのが通説だったそうだが、
このような生後間もない時期から嫉妬が芽生えているとすれば、
もしかしたら、人間が最初に芽生える「感情」かも知れない。








赤ちゃんや子供の時の「嫉妬」なんてのは可愛いもんだが、
大人になってからの「嫉妬」は始末が悪い。






何しろ「嫉妬」は、他の感情と混同しやすい。





「オレはアイツの事を思って言っている…」


「社会的にアイツの為にならない…」


「だからアイツは成長しない…」


「だからアイツはダメなんだ…」










これら、大抵の場合、
ほとんど「嫉妬」。










また、大人の場合厄介なのは、
自分の「嫉妬」に気付かない…








変に、「それ、要は嫉妬でしょ?」
なんて言おうものなら、烈火の如く、否定する。









赤ちゃんの場合は、
これも成長する為の一過程らしいが…







大人になると、
面倒くさいこと、この上ない。









「パフォーマンスは、最後は感情が決定する」


と書いたが、


もっと突き詰めると、






「全ての行動の正否の大部分は、『嫉妬』が邪魔をする」




「人間関係の構築を邪魔する最たるものは『嫉妬』である」







と、改めて記したいもんです。


(最上学説・な〜んて)







だが、もし人間生誕後の最初の感情とするならば、
なかなか根深い…








そうか…








だから、一筋縄では行かないのか…

いわゆる「気合い」と冷静さのバランスの問題

海外へ遠征中の選手から連絡が入った。




今年も北欧は雪が遅く、
クロスカントリーのコースは辛うじて一部確保出来ているものの、
ジャンプ台には雪が無い所も多く、
練習の為にはジプシーの如く、雪を求めて渡り歩かなければならず、非効率な練習を強いられる。






まもなくジャンプも、ノルディックコンバインド(複合)もW杯が開幕。
クロカンやフリースタイルスキーも。





そんな中、選手に改めてアドバイスしたことがある。






直前のこの時期に来ると、
最も重要なのは「体調管理」。




怪我や、風邪をひくこと。
ましてや今年は新たなインフルエンザが猛威を奮うらしい。





一旦、風邪をひくと、
たとえ表面上の症状は治まっても、
身体の機能が完全に回復するのには約1ヶ月掛かる。




予防には、何と言っても昔ながらのうがいと手洗いである。










それと、もう一つは、
「感情のコントロール」である。







随分以前に、
精神力には「構造」があると書いた。




熱力…いわゆる「根性」。熱い心。

鋭力…インスピレーション。勘。感覚。

静力…冷静な心。客観視。




精神力とは、何も根性だけではなく、
これら3要素が約33%づつ、備わっている状態が、「精神力が充実している」と言える。








ただ、集約すると、
最後にパフォーマンスを決定づけるのは「感情」である…


ということも以前に書いた。






怒り、恐れ、慢心、不安、…







基本的には、
「ここで負けたらどうなる」とか、逆に「勝ったらこうなる」とか、
結果を先に考えるとロクな事がない。






例えば、野球。






迷ったら、キャッチャーの構えたミットに向かって投げる事だけに「集中する」。




ボーリングで言えば、「スパットボーリング」。



レーンに付いた黒い三角錐のマークの上を通すことだけに「集中する」やり方である。










だが、一見するとメリットが大きそうだが、
逆に言うと「視野が狭く、周りが見えていない」と云うことにもなる。







特に、チームプレーではマイナスになる場合もある。








また、最後は「個人の資質の問題」にも拠る。







よって、競技の質、
あるいは場合によってはポジション、
に拠って、その対象者(選手)に何に重きを置いてアドバイスすべきかは異なるのである。





その全てのベースになるのが、
「精神力の構造」。








理屈は全てが約33%に、均一に充実している状態が理想的であるわけだが、

あくまでも感覚的な問題。


完璧に数値化出来ない。







だから指導者は、
目の前の選手が、今はどの要素を強く意識させてやるべきか、
あるいはそれを強く意識させるような言葉を吐くか…










こういう側面も、指導者には求められる。









それが、まさしく「名コーチ」なのである。

筑紫哲也さんの御冥福を祈ると共に

筑紫哲也さんの追悼特番を見た。



と言っても運転しながらのカーナビで、だったので、
且つ最後の30分程度だったのだが。





だが、筑紫さん生涯最後の「多事争論」だけは、
車を停めて見入った。





まるで、自身の最期を悟ったかのような語り口。






内容は、現在の政治状況や国の状況、
それらを自身の闘病生活になぞらえての結論。




「この国はガン(癌)である」





ということであった。







筑紫さん曰わく、政治と云うのは、結局のところは単純である、と。







要は、限られた資源を(金)を、どこに配分するのか?



若年層なのか、今まで日本を支えた高齢者なのか、
はたまな外国への支援なのか…



資源が足りなければ、どう増やすのか…?





それを考え、納得させ決定するのが政治だ、と。








それは、筑紫さんがガン闘病から行き着いた結論であるそうだ。





つまり、ガンという異分子が発生すると、
通常の生命維持活動に普通なら回される力が、
ガンを殲滅させるために力を回さなければならない。





よって、通常の生命維持システムにまで支障が出て、
結局ガンを自由にさせてしまうことになる…


ということである。







奇しくも…






手前味噌になるが、私は以前のブログで、人体健康の基本は、
「配分」と「循環」である( (◆と書いた。






血液などの液体的成分の「配分」と「循環」が適切であることが、
健康体の基本である、と。




要は、それを邪魔する行為、生活習慣、環境を、
排除、もしくは中和出来るか?…

を考えることが肝要である、ということであった。







死の直前の筑紫さんの言葉が、
まさに真の言葉として突き刺さる…




「この国はガンである」






要は原資も足りず、尚且つ次から次へと配分の優先順位を変えざるを得ない事態が持ち上がり、
その上、それを強烈なリーダーシップで、現時点の優先順位を示してくれるリーダーも不在。







まさに「ガン」であり、いまはそれを排除することに優先的に配分せざるを得ない。




だが、それが本当に正しいかどうかをジャッジする「主治医」がいない…









筑紫さんは言った。





問題の根本はシンプルである、と。





だが、根本はシンプルで、諸悪の根源は分かったとしても、
その解決法がシンプルである、ということではない、
とも語った。






これは、私のようなアスリートパフォーマンスや、医療に従事するものにとっても重要な概念である。





いや、全ての仕事、
事象に対して。









さて、筑紫哲也さんについてであるが、
好き嫌いは当然有ろうが、
一貫して報道、キャスターを通し、
真実を伝える事に粉骨砕身、人生を捧げた生粋のジャーナリスト、
日本を代表するニュースキャスターであったことは間違いない。





アメリカなどで、政治などへも影響を与えた著名なジャーナリストやキャスターが多数いたが、
それに匹敵する人材を日本国内で探した時、
影響力という点で、筑紫さんに並ぶ人が他にいるだろうか?





テレビというメディアの限界、
テレビの功罪、というものも有るだろうが、
それらも理解し、覚悟し、全て受け止めた上で、
ニュースキャスターとして最終的には自発的にフェードアウトしていった筑紫哲也さんに、
プロフェッショナルを感じずにはいられない。









プロの仕事、生き様に敬意を表したい。









心から御冥福を祈る。








合掌。

すね(脛骨)の明確な感覚

最近、アスリートのトレーニングを行っていて、
改めて感じたこと。



やはり、重要な「感覚」は、
すねの感覚、
もっと言えば「脛骨」の感覚をどこまで明確に出来るか?


である、と云うこと。




すねに対して、大地に向かって「垂直圧」を掛けるように、
踏みつけられているか?





身体を上方、あるいは前方へ送り出す、
または放り出すことがパフォーマンスの重要な点であると考えると、
すねの位置や角度が大地に対してどういう状態にあるかを認識し、
それに応じて適切に踏みつける感覚…






その為に重心をどうする、
股関節をどう乗せる、が複合的に関わることになり、
それらはどちらが先で後か、というのはさらに考察の必要がある。





だが、後先は別にして、
すねの感覚はかなり重要であるようだ。





その為には、
まずは基本として、大地にすねを垂直に位置し、その基準点を明確に認識させ、
そこでの垂直圧を身体〜脳に刷り込む「プリンティング作業」が大切な気がする。



そうなると、
やはり上記を意識した「パワークリーン」の正確なトレーニングの重要性がより強く感じられる。





これも、いわゆる「軸感覚」の一要素とも考えられそうである。






さて、その結果や如何に…

重さ、流れ、皮膚、運動感覚…と脳

久々の大作エントリーです。



移動中に手直しを加え、完成するのに何ヶ月も掛かってしまいました…











随分、以前の新聞に興味深い記事が出ていた。




近年、私も同様のことに着目して、自分なりに探求し、
指導上も重視していた部分である。




まさに、我が意を得たり、
と言ったところか。



端的に言ってしまうと、
身体の発達と心の発達の問題の関連についてである。

心の発達、とは学習、言語、コミュニケーションの部分で、
ここが未発達だと「発達障害」と言われる。









記事では同志社大での赤ちゃんの発達と運動の関係を実験した様子が掲載されていた。
生後6ヶ月の赤ちゃんを簡単な電動自動車に乗せて、
それはレバーを引くと前進するようにしてある。





少し前にお母さんがいて、じきにレバーを引くとお母さんに近付けることを覚える。





お母さんに興味の中心があるのは当然だが、
前進すると、床が後ろへ流れ去るのを見て、驚いたように下をのぞき込むそうだ。





まだ「ハイハイ」すら出来ないので、
いわば生まれてから初めて、主体的に「移動」を経験した瞬間である。





別の言い方をすると、移動に寄って「大地」(床)を発見することで、
初めて「空間」を自分のものに出来た、となるそうだ。






ハイハイ出来ない赤ちゃんは、例えば高所へ座らせても怖がらないそうだ。
と言うより「怖がる能力が備わっていない」という事らしい。
だがこの赤ちゃんのように電動自動車で移動を体験すると、
階段や段差のある場所を怖がるようになる。






実験した同志社大の内山伊知郎教授によると、
「自分でコントロール出来るようになった世界が、すなわち自分の世界になる。」
とのことらしい。



学習、言語、コミュニケーションの発達障害は、
通常は心の問題と捉えられているが、
こうした傷害も実は身体性が(身体感覚)原因ではないか、と考える専門家もいる。
東京女子医大の小西行郎教授のように、
「発達障害の子に共通する特徴は動作バランスの悪さ。
これが認知や言語の障害を引き起こし、さらにコミュニケーション傷害につながっている、と仮説が立つ。」
という考えもある。




小西教授曰く、
「人間は自らの体を使って環境に働きかけ、周囲にアピールする。
運動パターンに異常が潜んでいれば、それが精神、つまり脳に影響し、
社会的能力の変調となって現れる可能性がある。」
と述べている。





つまり、脳(心)が身体をつくる、という面もあろうが、
どうも身体が心(精神)をつくるという面の方が強そうだ、
ということらしい。
上流が体であり、下流が心とすると、
上流に滞りがあると、下流に良い影響も無い、と言えそうだ。









以上のような事から、
少し前から選手のトレーニングにおいて、
重視していることと、重なる点があると考えている。





まず、身体全体で「重力」を感じ、「空間」を感じる、
ということである。
スポーツは基本的には「立つ」ことから始まるが、
実際には状況によって態勢は変わるので、
単純に普通に立っている時の重心感覚だけでは事が足りない。




様々な態勢の中で「重さ」を感じ、
「地球の中心」を感じ取るような訓練が必要に思えている昨今である。




その為に、最も良いのが「器械体操」ではないか、と。





本当はトランポリンなども良いと思うが、
簡単に用意出来ないし、基本的な指導も必要だ。





そこへいくと、器械体操の方が簡便である。




ここで言っている器械体操は、別に宙返りなどの高度なものを指している訳ではない。




前転、後転、側転、…




この程度の、少しアレンジが加わった程度のものである。









私は若い頃、子供の体操教室の指導をしていたことがあったが、
その時に感じた、身体感覚に対する効果をずっと考えていたが、
最近それが少し繋がった気がする。







また、この教室では発達障害や情緒障害の子供たちの体操指導も担当していたが、
日常の生活は共にしていない私も、
毎週の指導の中で、数年のうちに少しづつではあるが、
理解力が向上したり落ち着きを見せたりしていた。





さらに、そういう子供たちは、
一様に身体のバランスが著しく悪く、
結果的にそういう部分が身体を動かす中で、
少しではあるものの改善していったのでは?
と推察している。






まさに、身体全体が脳である、
と感じた事象である。








あと、もうひとつ。







赤ちゃんは恐らく「ハイハイ」によって大地を感じ、
それによって「重さ」や「地球の中心」なども感じていると推察する。



つまり、「皮膚」で何かを感じ取らせることが重要である、と思われる。





そういうことが、前転や後転、
おいもごろごろのような、体操遊び的なもので培えるのではないか?
と考えているのである。






つまり、身体(皮膚)全体に、何かを触れさせる、
何かの流れを感じさせる事が重要な気がするのである。








そういう意味で、「水泳」は格好の訓練かも知れない、
と考えている。





床における体操は、身体に感ずる流れは一カ所に過ぎないが、
水泳は全身に流れを感ずることが常に出来る。






特にスキージャンプ選手などは、
風の流れを感じボディコントロールを図る。





水の流れを全身に感ずることとは、共通項が多いと思うのである。






単純に、持久力を高めるとか、身体のリラクゼーションを図るとかだけでは、もったいない。





一見、変哲のないトレーニングに見えても、
意味を捉え直すと、新たな効果が隠れている気がするのである。

アスリートは走り方にも意味を持たせる

昨日、今日と選手にトレーニングの一環としての走法のアドバイスを行った。


走る目的は様々。



ウォーミングアップ。
クールダウン。
持久力向上。
リハビリテーション。
リラクゼーション。
走ること、そのこと自体の技術向上…



ただ、せっかく走るのなら、
そのこと自体にも意味を持たせたい。



以前にも書いたが、
スポーツのほとんどの競技が、(水泳以外)身体の重みを大地を介して受け止め、
それを競技に応じて理想的な方向に送り出す(放り出す)ことが求められる。


それが手に何かを持てば、打ったり投げたり、殴ったり…


或いは身体そのものを
飛ばしたり。


エネルギーの放出に繋がるわけである。




ということは、効率的に大地を踏んでエネルギーを伝達し、
ロス無く送り出す、競技の種類に関係なく「技術練習」になるわけである。



そのように考えてみると、
ただ単に走る時間を使うのは非常にもったいない。



そればかりか、無意識的な走り方が、
実は悪い身体の使い方を教育してしまっている可能性もあり、
極論を云えば、パフォーマンスを下げる要因になっている可能性すらあるのである。



詳しくはここではとても書けないが、
要は、身体のどの部分を主体的に使い、
脚が接地した時に身体をどう乗せていき、
結果として身体はどう送られるべきか…



そのように考えてみると、
ランニングそれ自体が、技術練習にもなるのである。



競技種目、関係なく、
共通するのだから、これは研究の余地があると思う。

今更ながら自分の肉体を通じて…

最近、水泳に力を入れているということは既報の通り


水泳の良さは「道具が少なくて済む手軽さ」
と書いたが、
厳密に言うと、大変大掛かりな「プール」という道具がいるから、
実はあまり手軽とは言えない。
プールという「場」があってこそ、ということになる。


他に良さを感じるのは、
●一人で出来る。
●自分ではコントロール不能な「水」という自然物を相手にすることで、自分の在り方を客観視出来る。
●他人のパフォーマンスを間近で観察出来る。
●ちょっとした変化や工夫がパフォーマンスにすぐに表れやすい。



などなど。



子どもの時に、水泳教習などで初めて手ほどきを受けた内容、
「蹴伸び」
や、
「ブクブク・パー」
などが、今になって、いかに大切かがよく分かる。



特に「蹴伸び」によって養成される「ストリームライン」が全ての基本であることが、
あえて教わらずに試行錯誤しつつ経験する中で、まさに「実感」できる。


やはり長年大切だと言われていることには、
それなりに意味や根拠があるのだ、と感心してしまった。



ストリームラインなどは、
私が様々なアスリートに力説している、
まさに「軸感覚」である。
いわば、串に刺さったおでん状態。
串の周りはこんにゃく、はんぺん、ちくわぶ、である。


大地に立っておこなうスポーツは、
その大部分が「大地から受けた力を、身体を経由していかに効率良く、手や胴体に伝えるか」
を目的にしているので、
そういう意味で軸感覚が重要であるわけだが、
水泳はむしろ「力を伝達する」ということでなく、
「力を(抵抗)摺り抜けさせる」為に重要であることも分かった。
(厳密には、手のひらの力の伝達にも関わる)




これが出来ないと、非常に効率が悪く、無駄が多い。
つまり、いくらアクセルを吹かしてもブレーキが掛かっていては意味がない。
やはり「軸感覚」が大事なのだと実感している。


それと、「姿勢反射」のちょっとした影響が大きいことも実感しやすい。特に頚の角度や使い方が泳ぎに及ぼす影響。



スポーツの基本。
いかに「余計なことをしないか」。




水泳を長くやっている人には当たり前の事が、
自らの身体を通して、知識と融合していくのが面白い。


とりあえず、目標は速く泳ぐことよりも、
美しく効率良く泳ぐこと。


ま、「スロースイミング」ですかな。


サラリーマンの聖地は理想的な…

随分前に、
アスリートのパフォーマンスを考える場合、
「安定した状態」と「不安定な状態」の、
わずかな境目のところに真の「パフォーマンスが高い安定した状態」があると書いた。


言い換えると、
倒れてはならないが、一見安定しているように見えるのは、固まっていり状態なので、効率の良い動きに繋がりにくい、ていうことで、
言わば「倒れる寸前」。
果物で言うと「腐る寸前」。
ジャッキーチェンの映画で言えば「酔拳」の中にこそ極意がある、
ということになる。



サラリーマンの聖地、「新橋」についてだが、
私も仕事で頻繁に訪れるが、
あれだけ会社に対して鬱積したものが渦巻き
夜にはあちこちの酒場で不満やグチが放出されていても、、
新宿や池袋とは明らかに質的に違う。



それは、酔っ払って、クダを巻いて、
ドーしよーもない奴が意外にもいないことである。
路上で寝入るような輩は、まず見かけない。
(少ない)




新宿や池袋、ヘタをすると赤坂あたりでも、
路上で寝込んでいるサラリーマン風の男を目にすることがある。
つまり、あの辺は「不安定の極み」まで行ってしまってる街、と言える。



そう、新橋はサラリーマンの聖地と言われながら、
いかにも不満が鬱積していそうだが、
実はそこまで崩れていない。
かと言って、千鳥足のオヤジたちはそこら辺に溢れている。



考えようによっては、
まさに「安定と不安定の境目」。
つまり、潜在的にはパフォーマンスが高い街なのかも知れない、
な〜んて思ってしまうのである。


あくまで、アタシの個人的理論による見解であるが…


科学的には証明しようがないですな。



でも、サラリーマンの不満が渦巻く街と認識されている場所が、
実は潜在的パフォーマンスが高い街だとしたら、
結構、面白い話だと思いまして…


たかが指一本、と思うなかれ

お恥ずかしい限りだが、
実はいま、足の指(小指)を怪我している。

端的に言えば、爪を剥がしてしまった。



この半年で二回目。
最近、家の中がゴチャつき、障害物に足を激突させてしまい…



とは言っても、この年でトレーニングを休むと一気に衰え、元に戻すのに数倍の時間を費やすので、休むわけにいかず、
ムチ打ってトレーニングは続ける。



私の場合、趣味や楽しみではなく、仕事なので、
そこは致し方なく。




…で、指に負担が掛からないようにと配慮すると、
どうしても水泳の比率が高くなる。



だが…



特に、平泳ぎのキックは、
思いの外、指に負荷が掛かることが初めて分かった。
固定してある爪が剥がれる方向に力が加わる。


仕方ないから、脚を使わず、プルブイを使って、上半身主体に泳ぐことにする。
これはこれで、上半身の筋トレになるので、怪我の巧妙か…なんて無理やりポジティブに捉らえたりして。




若干、話はかわり、
特にアスリートにおいて、
たかが足首の捻挫や、指一本の怪我と言えども、
実は身体に大きな影響を及ぼす。



試しに、足の親指一本、テーピングで固定して一週間過ごしてみると良い。



歩く際のバランスが著しく変わり、
膝や腰に妙な負担が掛かるのが分かる。



基本的に、人体は左右がほぼ対称に動く前提に構成されているので、
どこかの動きが制限されるということは、
自動車で謂えば四輪が違う方向に向いているようなもの。
当然、どこかに歪みが生ずる。



もちろん、あまり過保護になるのは考えものだが、
ほんの一つの関節・指の動きに異常が生ずるだけでも、全身に影響を及ぼすことは、当たり前に起こり得る。



アスリートは、そういう細かい点にも配慮する必要があるのである。



特に、「足・脚」の故障は、
たとえ軽症でも注意が必要である。

脳が集中できる時間

Ameba News|【人体の不思議】脳が集中できる時間は数十秒


学校のテストや会社の大事な会議など、様々な場面で人は「集中力」というものを考えさせられる。よく言われるのは、例えば、「集中力がもつはずがないので、大学の講義のように90分も授業をやっても無意味」であるとか、「うちの子供は、3分も勉強に集中できない」などなど。とにかく、集中力を切らさないというのは大変なことだ。

 「集中力」とは一体、どれくらいの時間もつのなのだろうか? 様々な仮説が唱えられているが、非常に興味がある問題だ。

 その答えの一つが、先日、神経科学雑誌に掲載された報告に示唆された。人間の集中力を生み出しているのは、言わずと知れた「脳」である。要するに、脳がどれだけ安定でいられるのかということが重要である。

 この報告によると、脳が安定して活動できる時間は、平均すると「40秒」。短くて10秒、長くても数分程度だそうだ。思ったより長くない。要するに、「脳は落ち着きがなく、短時間で勝手に動き回る」ということである。

 人間の集中力が数十秒しかもたないと言われると、確かに心当たりもありそうだ。携帯の番号や住所を、短期的に覚えていられる時間も、せいぜい数十秒だし、視点をそらさずに1つの物体を見続けられる限界の時間も、およそ数十秒だ。

 たった数十秒だと、「試験とか会議は無理ではないか」という反論が起きそうだが、この時間はあくまで、「完全に1つのことに集中できる時間」であるので、いろいろと計算をしたり話が流れていったりとする場面では、さほど問題ではないのだろう。しかし、人間が真に集中できる時間が「数十秒」という考えは、何か私たちの生活のしていく中で、手がかりになる時間なのかもしれない。






この「神経科学雑誌」を直接見てないので何とも言えないが、
このような類のことは以前から言われてきたことだろう。



いずれにしろ、良かった〜
あたしが特別、なんじゃなくて…


最近は2〜3秒かしら…限度…
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