スポーツトレーナー始末記 〜養生指南・最上晴朗〜

コンディショニング&アスレティックトレーナーや手技療法師を生業としつつ関連業界にて幅広く活動中。トレーナー業務・スポーツ関連仕事記録・トレーニング観・人体観・健康観など。

トレーニング観

宮の森ジャンプ台にて…

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トレーニング中〜


体幹のトレーニングは地味で、面白みも無いし、
変に疲れるし、あまり達成感も感じられないし、



なかなかモチベーションも上がりづらいもの。



だが、


一人でトレーニングしていると、ついつい自分の得意な、好きなトレーニングの配分が多くなってしまいがちに。



基本的には、

自分にとって

「いやなトレーニング」

「つまらないトレーニング」

「つい避けてしまうトレーニング」



こそ、自分にとって最も必要なトレーニングであることが多い。



自分の心が引き気味になってしまうトレーニングこそ、
積極的に行うべき。


アスリートの皆さん、心して下さいな〜

燃えていいのだ

c2540994.jpg先日、札幌から選手がトレーニングに来て、
今シーズン、こんな事に気を付けてやって見たら〜?

な〜んて話をしたり、

どちらかというと、「頭」のトレーニング。







この手の話は以前にも随分書いているので、
興味のある方は、カテゴリ検索で「トレーニング観」や、「スポーツトレーナーになるには」あたりを探ってほしいのであるが。





思いつくまま、気の向くまま、のトレーニングでは結果が出ないのは明白。




大事な事は、「頑張る」事ではなく、

「何を」、「どのように」、

頑張るかが、最も大切なのであり、




では、何故、「それを」、「そのように」頑張る事が必要なのかが理解されていないと、





本気になれない。

身に付かない。

辛抱出来ない。




特に、現代は情報過密社会。



その気が無くとも、勝手に耳から目から、情報は飛び込んで来て、脳内を掻き回す。




そんなアスリートの諸君(の指導者)への、最強の処方箋は、




「迷わせないこと」。





表現を変えると、





「モヤモヤさせない」こと。






人を「その気」にさせ、「燃えさせる」には、


「迷い」の要素を排除し、

「モヤモヤさせない」



ことである。







これは、私が会社員時代に培った、
「上司力」の根本である。



上に立つ者の、基本なのかも知れない。





最近、時々、深夜のコマーシャルに「天才バカボン」のフレーズが使われている。

(不真面目なものでなく、確か公的なコマーシャル)






「これでいいのだ」。







この歳になって、この言葉を聞くと…


深い。

重い。






これでいいのだ、と言える、迷いの無さ。



究極なのかも。





理想は、バカボンの親父のように、


「これでいいのだ」


と、迷わず邁進し、



ジョー(あしたのジョーの矢吹丈)のように、


「灰のように、真っ白になるまで燃え尽きる」



…ことなんでしょーな。





あ、そうそう、冒頭の写真は、


赤坂見附店のマクドナルドが、
例の高級店化してたんで、とりあえず。



何だか、気後れしちゃって、入るのを躊躇しちまいました。



おねえさん達の制服、宇宙人みたいだったし…

「アスリート脳」とブロードバンド化

c4652f18.jpg写真は本文と何の関係もありまへん。


あまりにも天気が良かったんで、
思わず撮った、池袋あたりの空。

















私は以前から、
アスリートのパフォーマンス向上には3つの要素が重要である、と書いている。



「脱力」

「身体軸感覚」

「連動」



である。





それらをどのように獲得するか?
の為に様々な方法論が存在するに過ぎず、
その選択は、それぞれのアスリートの心と身体に届きやすい方法論を選べば良い、
と考えている。




つまり、「どれも正解」である。





詳しくは以前のエントリー(「トレーニング観」カテゴリーの中にあるはず…)を探していただきたいが、
実はこの3つ、ある意味同じ事を指しており、
共通して含んでいる要素がある。



それは、

「安定・固定」

である。





大地なり対象物(ボールなど)に力を伝えようとすると、
どこかに「支点」が必要になる。




いわば「固定」されている箇所、である。





それは身体全体が、ある一定範囲の「安定」が確保されていなければならず、
また「固定」とは言っても全てが固まっていては、「連動」が起きず、力が伝わらないので、
「脱力」出来ていないとパフォーマンスは低下する。



その、固定すべき箇所を「身体軸」と表現している。






「固定」すべき箇所、とは、
ほとんどの場合は「体幹」になる。





固定とは言っても、
実際は固めるような固定ではなく、
ある方向に対して抗するような力がコントロールされて発揮されているべきで、
それは必ずしも一方向ではない。





つまりは「ゆらぎ」の中でフレキシブルに対応されるべきもので、
ある意味アバウトな中で、身体が反応すべきものである。






その為の方法論として、
スタビライゼーションも良いだろうし、
ピラティスもヨーガも良いし、
アクアトレーニングも良いだろうし…







ただ、いずれにしても、
そのトレーニングの中で行われている体内の反応は、
ある種の不安定状態の中で、脳から各筋へ


「この不安定状態を解決するべく、この程度働け!」


と指示が出る。



それに対して各筋は、


「了解しました。これぐらいでいかがでしょうか?」


と、お伺いを立てる。



そしてまた、



「それは行き過ぎだ!」



などと修正指示が発せられる…






という、膨大な情報のやり取りが行われている。





一対の情報のやり取りでは、
刻一刻と変化する状況の中では、とても対応出来ず、
安定も無く、固定も有り得ない。





前述のスタビライゼーションやピラティスなどのトレーニングを繰り返す事で、
最初は少ない情報しかやり取り出来なかった「脳→神経→筋」の連携が、
徐々に多くの情報を短時間にやり取り出来るようになっていく。




これが「安定」であり、
「固定すべき箇所を、固定すべきタイミングで、必要な量の力で」
固定出来る、事に繋がる。





つまり、
最初は少ない情報しかやり取り出来なかった

「ナローバンド」

状態から、

多くの情報をやり取り出来る

「ブロードバンド」

状態に身体を作り替えて行く。




これがアスリートにおける

「頭が良い」


という事であり、
それこそ


「アスリート脳」



と呼べるものである。




無論、程度の差はあれ、
一般の方にとっても、小さな段差で転ばないとか、
必要な要素は変わらない。

最近、難しいと改めて感ずること

改めて最近、難しいな〜、と感じることがある。




それは、アスリートに対する「休養の指示」。






特にウィンタースポーツにおいては、
今は最終追い込みの時期。




真面目な選手はトレーニング量不足の心配は無いが、
疲労が溜まっている時期、無理をすると怪我や深い疲労を残したままになってしまう。



それが長期間に渡ると、
最悪はシーズンにまで影響を残しかねない。



それでも選手は、パフォーマンスを落としたくないから、
トレーニングしたい。



選手は不安だから休むことを嫌がる。


真摯なアスリートであるほど。







トレーニングとは本来、パフォーマンスを向上させる為に行う。




それによって「フィットネス」(いわゆる身体作業能力)が高まる。




結果として、
試合などで望まれる「パフォーマンス」が向上することを期待するのである。




だが、トレーニングを行うと、
一時的にはフィットネスは低下する。




筋力トレーニングの後、数日は筋力がむしろ低下するのが代表例。






そこに適切な休養、
または別のコンディショニング調整などの補助トレーニングを挟み、
フィットネス向上に繋げていく。







つまりパフォーマンスとは、
その時の「フィットネス」がどのような状態であるか。




つまり、「休養」の取り方が誤っていると、フィットネスが「打ち消されて」しまう事がある。





極論を言えば、
むしろトレーニングなどせずに、
身体全体のコーディネーションを調整したり、
むしろ何もせずに休養した方が「フィットネス」は高まる…



なんて事もある。







だが、真面目な選手ほど、休養を恐れたりする。





シーズン前など、
ましてや勝負が掛かった年などはなおさら。





それを指示するトレーナーやコーチ側の責任も重大である。






トレーナーやコーチが常に帯同している環境の選手は、
その精度もかなりの確率(休養指示のタイミング)の高さであるが、
常に見ていられない状況であると、
実際はなかなか難しい…






…などなど色々ありながら、
今朝、選手が一人海外遠征に旅立った。






出発直前、送られて来たメールには、





「感謝の気持ちを忘れず、頑張ってきます!!」





と。








ちょっぴり目が潤んじまいました。






もっと、あんなコトも出来たんじゃないか、
アレもやるべきだったんじゃ…





後悔、では無いが、
いろいろ考えてしまう、こういう時期。






月並みだが。


とにかく、思い切って暴れて来いや〜!!

「やるべき事をやってきた甲斐があった」

世界陸上選手権でのウサイン・ポルト選手の驚異的な走りに世界が驚嘆した。



数値的な凄さも、メディアで明らかにされていり。




ポルト選手はスタートが課題と言われてきたが、
100m決勝での号砲からの反応時間は0秒146。
タイソン・ゲイ選手の0秒144とほぼ互角。




見たところ、いつもあった20mまでの身体のブレも少ない。



そのままトップスピードに入り、
最高時速は44.7キロだったそうだ。





また、ポルト選手は100mをおよそ41歩で駆け抜けたそうで、
一歩あたりのストライドは2.44m。

対するゲイ選手はおよそ46歩で、
一歩あたりのストライドは2.17m。



ゲイ選手はその不足分を一秒間あたり4.73歩の高速にて脚を回転させたが、
ポルト選手も、あの長い脚を1秒間に4.27歩の高速回転。






単純に言えば、長いストライドを、
ゲイ選手に引けをとらない高速に回転させたわけで、
こりゃ〜物理的にかなわない…







ストライドを伸ばす為には、
対角の肩甲骨を、肋骨上に滑らせなければならない。


腕を振るのは目的ではなく、
手段である、と考えられる。




だが、肩甲骨を滑らせれば当然、身体がそちらに引っ張られるので、
ブレないようにそれを押さえ込まなければならないが、
押さえ込む意識が過剰になると、「力み」に繋がり、
ストライドも狭くなり、回転スピードも落ちる。





ポルト選手は、それを押さえ込むというより、
背骨全体を柔らかく使い、
押さえ込むというより、「緩衝」させて吸収しているように見える。




高層ビルが、大地震の時に全体をくねらせて、
衝撃を吸収させているのに似ている。




(これについては過去エントリーの「五重塔の構造」で述べた)






ポルト選手がどのようなトレーニングを積んだかは分からないが、
単に身体的優位性だけで勝利を掴んだ訳でないことは確かである。







ポルト選手が勝利インタビューで語った言葉が印象深い。






「やるべき事をやってきた甲斐があった。」







まず、


「やるべき事」




が分かっている、ということが重要で、
多くのアスリートが、まずここが分からない。





そして、




「やってきた」




ということ。




「やり続けた」


と表現した方が的確だろう。






「やるべき事」を示唆してくれる人、またはそれを認識出来る認識力。


「やり続けられる」環境、
揺れる心を修正出来た周りのサポート。


もちろん、本人の精神力。










勝利は、様々な要因の積み重ねと、その集大成の結果である。

正しい立ち方は、正しい構え(フォーム)に

今日から選手の東京合宿。



ここから二週間は、入れ替わり立ち替わり、
様々な選手がマンツーマンのミニキャンプに来る。






今日はジャンプ選手のトレーニングだったが、
少し前から

「パフォーマンスが向上する立ち方」

について話しをしていたが、
何となく感覚を掴んだような発言をしていたが…







…、ま、大抵は勘違いなんですが(笑)






内容は、
以前から、このブログでも何度か書いている、


「不安定と安定の境目」



が、最高の立ち方である、と。





一般的にいう「安定している」と云うのは、
「固めて」「緊張している」のがほとんどで、
実は崩れるか崩れないかの一歩手前…




ここが最も、ハイパフォーマンスである。




果物が、腐る直前が最も旨い!

ってのと、近いかも知れない。



究極の「熟」。







もちろん、ほとんどのスポーツは、
ただ立ってると云うわけには行かないのだが、
その「安定と不安定の境目」で立つ感覚を会得して、
その感覚を生かして、それぞれの構えなりに入る。





「構えちゃったら、そんな感覚、どっか行っちゃうよ…」




なんて、安易に考える人間は、永遠に一流にはなれない。





もちろん、
構えやフォームは、ただ立ってることとは違うが、
その立ってる感覚をどこまで残せて

「構えられるか」。






自分の理解を超えている概念を、
分からないからといって排除していると、
永遠にそのまんま。






これは、人間関係にも似ている。





人の関係は、全てが「つながり」。



あいつは苦手だ、嫌いだ、
といって排除していると、
その人から繋がる膨大な人の繋がりを、
全て排除してしまうことになる。






「概念」も、
「人間」も、



まずは食わず嫌いせず、
とりあえず取り入れる、飛び込む。







自分の環境を決めているのは、
常に

「自分の心、考え方」


なのであるのだから。

真理に自ら気付く尊さ

昨日まではクロスカントリースキー選手のミニキャンプ。



今回は特に、スタビリティを向上させる為の内容。





言い換えると、
「表層筋」より、「深部筋」をいかに反応させるか…?



がテーマ。





ただし、外から見ている分には、
ただの自重トレーニングにしか見えない。





だから先日も、


「あの腹筋のトレーニング、面白かったですね〜」


と、ジムのスタッフに云われたが、



ニコニコしながら、
「でしょ〜っ」
と答えるに留まる。




意地悪するわけじゃないが、
外から見て、本質的に何をゴールとして目指しているかは、
そう簡単には分からない。



それを説明しようとすれば、
かなり時間が掛かる。






だから、素通り的な反応に対するコメントは割愛してしまう…





ま、これもあんまり良くは無いんですが…







んで今回の指導中、
選手が突然、




「あっ!、何か分かりました。



いや…分かったような気がします。



身体を安定させようとして無意識に入ってしまう『力』は表層で、
むしろ『力』を抜いた方が逆に安定する…



その時に、深部筋が活動している…



んですね?」





と。







あたし、基本的にはあまり「教えない」。






結局のところは、いくら指導者が言語を尽くしたとしても、
感覚の共有は究極的にはほとんど不可能で、
選手が自ら、「感じて」、「発見」するしかない。





だから、出来るだけ、


「教えない」


で、



「教える」。








だが、感覚を掴んだから勝てるか、

と云えば、事はそう単純ではない。






これが勝負の難しさ。



「パフォーマンス」と云うものの複雑さ。






かくして今日も、

それらを追い求めて、指導が続く。







アスリートの諸君!!



「考える」な!!




「感じろ」!!








まさに、ブルース・リーの世界(笑)


by 燃えよドラゴン。

固定観念、はなかなか変えられない…

自分のトレーニングはスケジュールの合間に行うため、
毎日色んな場所で行う。



おかげで、同時に様々なトレーナーの指導が視界に入る事になり…







もちろん、私が何か余計な口を挟むはずもなく、
自分のメニューを淡々とこなす事になるのだが。





よく目にするのが、
定番のトレーニング種目の指導になり、
機会が多いのが

「スクワット」。






これは以前にも書いた事があるのだが、
改めて。







ほとんどの指導者が、
立った姿勢から、
「どのようにしゃがむか」
を指導しようとする。





だが、
実はこれは、かなり難しい。





スクワットで最も重要なポイントは、
股関節の屈曲であり
(強い出っ尻)
しゃがみながら、この動作を行うのは、
素人にはかなり難しい。



自分がトレーニングに慣れている指導者は、そういう事に気付かない。





筋肉が伸びながら力を発揮するのを「エキセントリック筋活動」と呼ぶが、
素人には感覚的に掴みづらい。







だから、スクワットは、
「しゃがんだ状態から、立たせる」
方が、感覚的に分かりやすい。






つまり、筋肉が縮みながら力を出す
「コンセントリック筋活動」
を意識させた方が、
多くの場合は分かりやすい。






言わば、「逆転の発想」
である。





スクワットは、
しゃがむ動作、より、
立たせる動作から教える。








こういう考え方は、
実は色々な場面に於いて、共通する部分である。






言わば、
「行いたい動きの、その一つ前の動きが重要」
ということ。







先日、クロスカントリースキー選手の指導を行っていた際、
走り方のフォームの調整をしていた中で、
「腸腰筋」への刺激を重視したメソッドを行ってから、
ランニングトレーニングに移った。




すると本人が、


「脚の送りが軽い」


と。





つまり、
後ろに脚を蹴り出す動作をスムースにするには、
前に戻す動作がスムースでないと、次の動作がぎこちなくなる…




のである。







本来、やりたい動きのその前に、

「本質」


がある。






動きとは、まさに
「連鎖」
「連動」
である。



単独で動きが形成されている訳ではない。






顕著なのが、アマチュアゴルファーである。





ゴルフ雑誌に、一流選手のスイング連続写真などが頻繁に掲載されている。





一般のアマチュアゴルファーはそれを見て、


「トッププロはインパクトの瞬間はこーなっている」



とか、




「テークバックでは、腕の動きがこーなっている」




などと研究し、
同じになるように努力する。






無意味、とまでは云わないが、
その動きを実践するには、その直前の動きが出来ていなければそのようにはならず、
またその動きをするにはその前がこーなっている必要があり…







と、なり、





とどのつまりは、




「スタンス」







「グリップ」




が大事。





と、なるのである。







動きを、切り取って考えると、
本質を見失う。






連動した動きとは、


「最終的に、こーなっているのが理想型」


な事は確かなのだが、
そーなる為には、その前がどのようになっている必要があるのか…







連続写真の切り出しのようには、
人間の動作は出来ないのである。

杉内俊哉投手の「オートマチックのツボ」

「最後の指先ですね。
そこんところに力を入れるだけです。
どうでも良いや、って、いい加減に投げるようにして、
ボールを切る瞬間の指先に力を集中させるんです。」







福岡ソフトバンクホークスの杉内俊哉投手の、
自分の投球を分析した言葉である。







どんなスポーツの動作でも、
実際の動きと云うのは、非常に複雑な動きの集合体である。




投球動作で云えば、上腕だけでも内旋、外旋、内旋…

と交互に訪れ、変化球によっては人差し指で切るか中指で切るか…






それに下半身の動きが加味されるので、
とても自分の意識で全て制御出来るレベルのものではない。





それを最初は、
意識下において反復し、
脳ー神経レベルで刷り込み作業(プリンティング)をし、
無意識下レベルまで昇華させたものが、
パフォーマンスとして発揮される。






つまり、全てを意識下でコントロールするなど、
不可能なのである。







だが、
そのインプットされた(プリンティングされた)情報を引き出す



「きっかけ」。




あるいは




「スイッチ」。





と言い換えても良いが、
そういう感覚が存在する。






人間が、感覚的に意識出来るのは、
最大で二カ所、基本的には一カ所であると思われる。







つまり、
訓練・鍛錬によって刷り込まれた動きのパターンが、
あたかもオートマチックの如く、自動的に引き出される「スイッチ」のような「呼び水」的な動作や感覚…






が、選手それぞれ、存在する。









つまり、





「それさえ意識すれば、
あとは特別に意識せずとも、勝手にオートマチック的に動いてくれるツボ」




があるのである。








これは、恐らく全てのスポーツに当てはまる。






本番に於いて、
意識する場所が多くなければならない選手は、
残念ながら一流にはなれない。







その、

「ツボ」。

「スイッチ」。




を見つけるのは、もちろ本人の鍛錬、


また、コーチの仕事である。







また、杉内投手の言葉で印象深いのは、


「いい加減に投げるように」



と云う表現である。






これを聞くと、一般の方は「?」と感ずるかも知れないが、
推察するに、これは





「脱力」





を意味する。





身体レベル、脳・意識レベル、に於いて。








ある意味、
「指先の感覚さえ意識すれば、
自分は良いパフォーマンスが出せる」



と云う、ある種の確信があるのであろう。





云ってみれば、
その感覚に従って、
あとは、





「余計なコトをしないだけ」







それを、「いい加減」と表現したに違いない。







杉内投手の、長きに渡る安定感の秘密が分かる、
大変貴重なエピソードである。

パフォーマンス向上の決定版、と云えば決定版…かな?

今週はスキージャンプ選手のミニキャンプでのトレーニング指導〜






そんな中での1コマ。








「要はパフォーマンスを発揮するには、、
必要の無い筋肉は必要なタイミングで力を抜き、
必要がある筋肉は必要なタイミングで力を入れるようにし、
それらが有効に働くように、適切なタイミングで固定すべき箇所は固定し、
力を入れる必要がある箇所は直前まで力を抜ける状態にあること。」






続いて、






「君は、全てが逆になっているだけのこと。
課題は明らかだから、そういう意味ではやるべき事柄は明白。
ま、地道に頑張りましょーや。」















これで選手のモチベーションが上がったかどうかは、不明…








でも、課題が不明確であることほど、
選手にとってフラストレーションが溜まることは無い。






課題を明らかにし、
後はそれを克服する為に、何をチョイスし取り組むか。




あるいは誰の指導に委ねるか。







課題が明らかなら、
あとは方法論だけ。





簡単な理屈なのだが、
実はこの「課題」で迷っ。





課題で迷わぬよう、
道筋を明らかにするのが、
指導者の務め〜
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