スポーツトレーナー始末記 〜養生指南・最上晴朗〜

コンディショニング&アスレティックトレーナーや手技療法師を生業としつつ関連業界にて幅広く活動中。トレーナー業務・スポーツ関連仕事記録・トレーニング観・人体観・健康観など。

現代医療

「ホントの事」は本当に民衆に伝わるか

会社や学校で恒例、というより義務になっている健康診断。


メディアなどの情報でご存知の方も多いと思うが、
実は期待するほどの意味はない、ということはまだ浸透していないようだ。


私が見たメディア情報は確か半年以上前だったと思うが、
最近、患者さんに話すことも多く、書いておくことにした。



厚生労働省の
「最新の科学的知見に基づいた保健事業に係る調査研究班」
というチームが、健康診断で実施している代表的な24の検査項目のうち、16項目は
「病気の予防や死者の減少という視点では、有効性を示す根拠が薄い」
という結論を公表したのである。



それぞれの検査項目が示している数値基準の根拠について、
研究班が世界中の論文に当たって調べたところ、科学的に十分な根拠があった検査項目は
「血圧測定」と「飲酒と喫煙に関する問診」だけだったそうだ。


その他、
「身長と体重の測定」は減量の指導を充実させるなら効果が認められ、
糖尿病を調べる「糖負荷試験」と「うつ病を調べる問診」は、指導と治療の体制が整備されているなら有効と判定されたらしい。



さらに報告によると、
心電図は虚血性心疾患の発見には無意味で、胸部X線検査は肺ガンの発見に有効という証拠がなく、コレステロール検査も心筋梗塞の予防には効果がない、とのこと。
つまり多くの人たちが最も気にする検査が疾病発見や予防という観点では「あまり意味がない」という、にわかには信じ難い結論になる。



今まで健康管理に有効だと信じて、
人によっては費用を払い受診してきたのは一体何だったのか、と言いたくなるのが普通の感覚だろう。



以前に見た情報では、うる覚えだが、
確か欧米では健康診断の項目が日本よりずっと少ないそうだ。
つまり「やっても意味がない」と。
だが日本では「これもやった方が良いだろう」「あれも加えよう」とドンドン増え、
有効性が疑われ始めても、
「ま、一度増やしたのを減らすのもナンだし…」と、そのままになってきた事情があるらしい。

これでは、医療界の考えは、
検診や再検査は儲かるし、
ましてや病気でもたまたま見つかれば商売になる、
という意図であるとしか考えられない。



この情報は多くのメディアに出ているが、
それでもまだ知らない人は多い。
いや、たとえ知っても「いや〜そうは言っても、やっぱやっといた方が良いだろう…?」
てな感じで捉らえられるかも知れない。
何しろ、特に日本は「お医者『様』絶対主義」がこびりついているから。


いや、それでも必要な情報は、
もっとクドイくらいに流すべきだろう。
その上で受診するかどうかは個人の問題。
この状況は、真剣に情報を知らしめようとしているとは思えない。





これは健康診断の話だが、他のことでも疑う必要があるかも知れない。



例えば、最近は全ての交通機関に乗れるカードが普及し、
一見確かに便利なのは間違いないが、
果たして目論見はそれだけなのか?


各種クレジットカードとの提携も進み、
自動でチャージ出来るのは喜ばしいが、結局は業者の利益誘導に一般庶民が踊らされていることはないのか?
我々が気付かないのを良いことに…


個人情報の問題を含めて…



正しい情報が全て開示されるわけではない現状で、
大衆はもっと疑ってかからなければいけないのかも知れない。


「問題医師」を見て改めて我が身を振り返る

昨日、TVで「ドクターハラスメント問題」などを中心に、
逆に先進的な医療を推進している病院や患者さんに配慮している事例などを挙げた医療特集番組をやっていたようだった。
車での移動の途中、ナビでちらっと見ただけだったが、
なかなか興味深い内容だったらしい。


実は最近、久しぶりに病院に行ってみた。
私は10年以上、病院に行くということはなかったので、
本当に久しぶり。
長いこと行かなかったのは、まず私がトレーナーでほとんどの基本的な対処法は分かることと、
病院に行くほどの大問題も起きなかった、ということがある。



だがトレーナーとしても、最近の現代医療の現場も見ておく必要もあるなぁ、と少し感じていた。
選手も行かせることも当然あるので、
自分も古い情報のままではまずいだろう、と。


運良く、と言うか悪いと言うか、
ちょっとひょんな事から少し首を痛めてしまい、
対処は自分で出来るのだが、MRIを撮った事もないし、
経験も含めて行ってみたのであった。


そこで、「これが問題医師か〜」という場面に遭遇し、昨日の番組で思い出したのである。


診察室に通されて、医師が開口一番、
「何でこんな日に来るのかねぇ〜!」と。


私は何のことやら分からず、「はぁ?」と聞き直した。
確かに、この日は連休前。


すると、
「だから〜、何で休みの前に来るのかってこと。
混むでしょーが、休みの前は。
何でもっと前に来ないのよ!」

言葉だけを聞くと、
痛いんだったら早く来れば楽になるでしょ、という配慮のようにも聞こえるが、
言い回しは完全に「休みの前にみんなで駆け込んできたら、忙しくなるじゃねぇか?」としかとれないような口調だった。


内心「何言ってんだ、お前」と思って、
言ってやろうと思ったが、その後の出方を見てみたかったこともあり、とりあえず反応しないことに。
だが、一般の方だったら、文句言ったらちゃんと診てもらえないんじゃないか?と考えるだろうから、
恐らく何も言えないだろう。
「これがドクターハラスメントってやつか〜」
と初めて実感したのであった。
医師も結局、広い意味でサービス業なのに…
意識の低さに、半ば呆れ気味に閉口。



その後、医師の問いかけもあり、
前述のように経験が無かったのでMRIを撮ってもらうことに。
たいしたことは無かったのだが、大げさに言って。


MRIの感想はここでは割愛。


撮影を終えて診察室に戻り、
医師の診断を仰ぐことに。
すると「あ〜やっぱりね〜。首の骨のカーブが少なくて、少しだけ軟骨が変性してるな〜。」
と。
私も画像はある程度判断できるが、この程度は全く問題無い範囲である。
結果、医師の診断は、
「この軟骨の変性が神経を圧迫して、痛みが出てるんだよ。一応、薬出しとくから、良いって言うまで飲み続けて。」
とのこと。


私はびっくり。
何せ、ここまで首のどの部分が痛いのかも聞かず、
患部を確認も、触りもせず、
まして動作分析(どう動かすと痛いか、など)
もしていないのだ。
ほとんど私のことは見ず、画像のみを見て全て判断している。


さすがに私も、一応恐る恐るという演技をしながら、
「あの〜先生。私が痛いところ分かってますか?
まったく触っていらっしゃいませんが…」
と聞いたら、
「触ったって一緒!画像見れば原因は分かるんだから!私は画像診断の専門家なんだよ!」


…もう、何も言い返す気力も失せていた。
アホらしくて。


その上、「あんた、仕事なにやってんの」
と聞かれたので、何を言い出すのか興味もあり、ちょっと嘘をついて、
「そうですね〜デスクワークが中心ですかね〜」
と言ったら、
医師は
「やっぱりねー、だと思った。運動不足なんだよ。
時々首を回したり、しっかり動かさなきゃー。だから血行も悪くなったり、軟骨が変形したりするんだよ。」


お前〜
俺の身体見れば、運動不足かどうか分かるだろうが!
運動はしてると考えるのが自然だし、学生時代に痛めた経験があるかとか、聞かんのかい!



こりゃーダメだわ。



もちろん全ての医師がこうではないだろうし、
私も多少意地悪はしたが、
何しろ患者を直接まったく見ず、触りもせず、
画像だけをひたすら見て、「人」を診ている認識がこれっぽっちも無いことに驚きさえ覚えた。
しっかりしてくれよ、お医者さんよ〜


だが、逆に考えると、
このような現状だからこそ、民間医療であり、なお且つ保険も利かないため費用も安くない
私たちのような施術所に来る方々が多いのだろう。


私たちにとっては結果的に好都合だが、
どうしたって現代医療でなければどうにもならない疾病や症状があるのは事実なのだ。
もう少し真剣にやってもらわんと…


だが、医療技術、と言うより、
「人間教育」が必要なんでしょうな〜
ホンと、本音を言えば殴ってやろうかと思いましたよ。
一体、何様なんじゃい?



あ、でも、これからも時々は勉強と経験の為に、
ちょっとした事でも病院に行ってみようと思っている。
もちろん頻繁ではないが…そんなヒマじゃないし。


ムダに医療費、使っちゃまずいしね。
でも今までほとんど行ってないんだから、良いじゃんイイジャン。

医師の魂と責任の重さ

先日、昨年末に亡くなった母の100ヶ日法要があった。
時が経つのは早いものだ。
久々に父に会ったが、だいぶ落ち着いたものの、
未だ母のいない寂しさには慣れていないようだ。


それでも、やっと最近は発病時の細かいいきさつなどについて、
話を出来るようになった。


母が体調を訴えるきっかけになったのは、帯状疱疹であった。
最初は近所のかかりつけの開業医に行った。
その時の診断が帯状疱疹だった。
医師から勧められるままに胞疹の薬を飲み続けていたのだが、
一向に改善の兆しが見えない。
その内、体のあちこちに痛みが出て来る。
それでも医師を信じ、4ヶ月。
「おかしい」と思い始めた父が疑問をぶつけると、
「じゃあ、大きな病院で検査をしましょうか」と、医師は言った。


それで紹介状を手に総合病院にて診察を受けたが、
そこでも原因は分からず、様々な精密検査を受ける事に。
そうこうしている内に、母が夜中に突然倒れた。
と、言うより、突然立てなくなり、ヘナヘナと床に崩れ落ちてしまったのだ。
救急車で病院に運ばれ、さらに詳しい検査をして行って、
ようやく原因が判明した。
重度の「肺がん」。


私も医療関係の端くれではあるものの、この辺りの詳しい事は分からないが、
要はガンが脊椎にすでに転移していて、骨のいくつかが圧迫骨折を起こして、
完全な下半身不随に陥ったのであった。


過ぎたことを今更どうこう言っても始まらないが、
父としては、やはり未だに最初の医師の診断が的確であったら、
もう少し何とかなったのではないか?との後悔と無念が拭い切れないようなのだ。


当然、と言えば当然。


あとで聞いたのだが、
母が病院に入院した際、
その医師が見舞いに訪れたらしい。
「何とかお元気になって欲しい」と。
父はたまたま不在だったらしいのだが。


母が亡くなった後、
父も医師の診断ミスをどうのこうのと問題にするつもりは無かったらしいが、
(いずれにしろ、もし訴訟を起こしたとしても、この手の問題で責任を問う事は出来ないらしい)
それでもせめて、この医師に一言でも言ってやりたかったらしく、
電話をしたそうだ。


父「先生、妻がなくなりました」
医師「病院から連絡があり、存じております。誠に残念です。」
父「先生…あれは帯状胞疹じゃ無かったんですよね!?」
医師「…。」


医師は何も返す言葉が無かったらしく、無言だったそうだ。
何を言っても、時が戻るはずも無く…。


私も、親族の一人としては冷静でいてはならないのかも知れないが、
とにかく、今は母の冥福と、
この医師が、己の診断技術を向上することに是非邁進して欲しい。
それが医道に携わるものの使命であろう。


ただ、立ち返って考えてみると、
母が入院した時、見舞いに来たことは、私も医療人の端くれとして評価したい。
恐らく自分の判断ミスは自覚していたはずだから、
自分の身に置きかえたら、かなり来難かったはずだ。


それをけじめとして、為すべき「礼」を尽くした、
この医師の「魂」だけは、せめて信じてやりたい。

医師の資質。医療人の資質。

母の闘病中の話。


ある時、病状説明を家族全員にしたい、との医師からの連絡があり、
仕事の調整をつけて、約束の時間に病院に駆け付けた。
(この時は、既に手の付けようが無かった状況だったが)


この日は外来や入院患者の対応で、
主治医の医師はてんてこ舞いの様子であった。
家族が全員揃ったのを確認して、
廊下を走り回る主治医に父が、「先生、揃いましたので…」と声を掛けた。
すると、その医師は小走りをしながら、
「ちょっと待って!患者は貴方の所だけじゃないんだから!」
と叫んだ。(というより、怒鳴った)


……恐らく、病院でなかったら、私はこの医師を思い切り殴り倒していただろう。


もしかしたら、その前に父との何らかのやり取りがあったのかも知れない。
父は、母を心配するあまり、頻繁に「先生、先生」と声を掛けているらしかったので。
それが少々、うっとうしかったのかも知れない。
しかし、それを全て差っ引いたとしても、そんな言い方は…。


その医師は、もしかしたら腕利きの名医なのかも知れない。

でも、私はそういう医師には掛かりたくない。

絶対に。


“医師”の基本的な資質って、一体なんだろうか。


いや、これは反面教師として、
医療人の端くれとしての自分も肝に銘じなければ。

どんな仕事でも順位が付く

母が闘病中のこと。


当然、重病であったので、完全看護の病院である。


入院時には下肢が動かない状況で、
じきに手も動かなくなった。
そうなると、全て看護士の方に世話のほとんどを委ねることになる。


しかし、多数の看護士の方がいると、
やはりその仕事の仕方には、違いがある。


食事の補助なども、
うまく食べられない母を、やさしく待ってくれる人。
「なんだ、早くしてよ」と言わんばかりに、
「いらないの?いらないのね?」と、さっさと片付け始める人。


床ずれを防ぐために、身体の向きを変える時に、
やさしく動かしてくれる人と、物を扱うようにする人。


夜勤で、こちらが声を掛けないと様子を見に来ない人と、
頻繁に見に来てくれる人。


何となく全てが事務的な人と、
いつも暖かい笑みを絶やさず、優しい言葉を掛けてくれる人。


ひとつ一つの作業は、それほど難しい作業ではないのかも知れないが、
やはりどんな仕事でも、そのやり方は100人いたら1〜100位まで、順位が付く。


私も以前、企業で教育担当を務めていたころ、
社員によく言っていた。
「コピーひとつ撮る仕事でも、必ずその完成度には順番が生ずる。
 角を揃えない者。右上隅をステープラー留めする者。10部ごとに分かりやすくまとめる者。
 ページが付いてなければ、気を利かせてページ番号を打ってからコピーする者。…」


どのような仕事でも、やはりプロフェッショナル。
やはり、「プロ意識」を持って、鮮やかな仕事を心掛けたいものだ。


それにしても、
やはり命の現場である「看護士」の仕事の資質は、
「優しさ」「人への尊敬・慈しむこと」が大切なのだと痛感する。


自分の最期は、どんな看護士の方に看取ってもらえるのだろうか。


いや…畳やベッドの上では逝けないかな。自分の場合。

「インフォームドコンセント」とは“保険”なのか

私の母が亡くなって、もうすぐ1週間が経とうとしている。

だいぶ気持ちの整理もついてきたので、
そろそろ闘病中に見たり聞いたり、考えたりした事を書いて行きたいと思う。


私の母の病名は「肺がん」であった。
当然、家族一同で医師から「インフォームドコンセント」を受けた。


世間では、もう随分前から「インフォームドコンセント」(病状と治療法の説明と同意)が問題になり、
現在ではほとんど、当たり前に為されている様である。
しかし、患者側からすると、その在り方に疑問を持たざるを得ない。


一番、疑問に思ったのは、
「一体、インフォームドコンセントとは何の為にあるのか?」である。


基本的には、

「現在は〜という状況です。その為に…という治療法と…という治療法があります。
それぞれのメリット・デメリットは〜〜です。さあ、貴方はどちらを選びますか?」

という事である。


母が亡くなって、父が涙ながらに訴えていたのは、
「そんな難しい話、素人が聞いたってどちらかなんて選べない。」
ということだ。


私もその場に家族の一員として立ち会ったが、
やはり素人には難解過ぎて、決断のしようが無い。
よくよく考えてみると、
これは、治療の過程で問題が生じた場合の「逃げ」であると思えてならない。


つまり、

「だって、あの時説明したじゃないですか。
 それで選んだのは貴方でしょ?
 この方針が良いって言ったじゃないですか?
 いまさらそれに文句言われても…」

というニュアンスだ。
つまり、言葉によって、医師自らに「保険」を掛けているようなものだ。
少なくとも、家族はそう感じてしまう。
平たく言えば、「もしもの時の責任逃れ」の意識が垣間見える、ということだ。


今までは、傍観者として「インフォームドコンセントは行われるべき」と思っていたが、
当事者になってみると、その在り方には疑問を持たざるを得ない。
もちろん、医師にはそのような意図は無いのかも知れないが、
逆に、医師に、「貴方の家族だったら、先生はどうしますか?」
と尋ねてみたくなってしまった。


家族側の立場に立って、要望を言わせてもらう事が出来るのなら、

「治療法にはAとB、この二つの選択肢があります。
 それぞれにメリット・デメリットがあり、今後何を優先するかで、
  どちらの治療法が良いかが決まると思います。
 例えば、私ならとにかく苦しまずに、出来れば家で最後を過ごしたいので、
 私ならAを選択すると思います。
 もちろん、どちらを選ばれても私たちは全力を尽くします。
  しかし、何せ人の身体の事ですから、予期せぬ事態も起らないとは言えません。
  その場合でも、出来る限りの対処をして、少しでも命が長く続くように
 最善を尽くしたいと考えています。
  私たちを信じて、お任せいただけますか?」

と言って欲しかった。


もちろん、様々な医療事故が起き、
恐らく、様々な訴訟があるのだろう。
中には、医師側からすると「それはないよ!」というような、
理不尽な訴えもあるのかも知れない。
そのような背景から、
前記のように「インフォームドコンセント」が扱われるようになったと、推察する。


このように考え、言ってみたものの、
ではどうすれば最も良いか、答えは自分でも見えないのだが…。


それともう一つ。


やはり医師の「プレゼン能力」には、ちょっと疑問符が付く。
もちろん、デリケートな問題なので、
どうしても曖昧な言い回しになってしまうことも理解出来るが、
「要はどういうことよ!」と思った事が、少なくない。
私などは、このような仕事をしているので、
父に通訳するような意味合いも含めて、よく、

「つまり、先生がおっしゃるのは〜〜という意味ですよね?」

と内容を咀嚼して言い換えたことも、かなり多かった。


言い難い内容である事は理解出来るが、
やはり、「表現は穏やかに。論旨は簡潔に明解に。」
のプレゼンの訓練は、積んでいただきたいと思う。

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