写真は、つい先日の平日、有楽町〜銀座付近。



午後、3時あたりの画像である。


3c3d33d4.jpg有楽町マリオン前。










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銀座ソニービル前










6cd5646b.jpg銀座四丁目あたり







ご覧のとおり、通常は込み合う時間帯にも関わらず、
まさにゴーストタウン状態。




繰り返すが、決して早朝ではなく、午後の昼下がり。






あの銀座に、人がいない…





大きな震災のあと、と言えばもちろんその通りだが、
計画停電もあり、企業も出社を自粛したり、
一般家庭も外出を控えた結果である事は、周知の事実。



ただ…








いろいろ考えていた時、メディアプロデューサーのおちまさと氏のblogを読んで、ある種の納得感を覚えたのは私だけだろうか。



【特別寄稿】おちまさと『不謹慎』とは何か。



今日今までとは違う新たな月曜日が始まった。
先週の金曜の夜までとどうしても価値観は多少の変化を齎してしまった新たな月曜日だ。

朝起きるとまず多くのリスケ(スケジュール変更)のメールと電話が続いた。

やはり計画停電に伴う電車通勤などへの影響における各社の自宅待機などの指示によるものが多かった。

先日も書いたが我々は生きて行かなければならない。

生き抜いて行かなければならない。

僕らの国には突然不幸な出来事があった。

しかし時は進んで行く。

仕事ができる健康と仕事ができる環境が(学生ならば学業か)運にめぐまれ整っている我々はその仕事ができる幸せを今まで以上に噛みしめながら働いて行かなければならない。

それが日本の未来の為にも被災地の復興の為にも繋がるはずであると信じて。

しかし福島第一原発問題において使用できる電力は激減し交通手段の環境が悪化しているので多くの仕事が潤滑に回らなくなっているのも現実である。

だけども働ける人間は働かなければ前進できない。

ただ何となくその空気を遮っているものがある。

それは一体何なのだろうか。

例えば現在あらゆる楽しいことがコンセプトのライブやイベントは数多くが中止を余儀なくされている。

「この時期に何を考えてるんだ」

ということが最大の理由か。

もっと簡単に言えば
『不謹慎』
という三文字が文鎮のように乗っかっている気がする。

流石にそれはこの時期に『不謹慎』だと思う事もある。

しかしこの『不謹慎』のボーダーは誰にもわからない。

『不謹慎』とは慎みがないという事だ。

慎みとは控え目に振る舞うこと。

果たしてどこまでが『不謹慎』なのだろうか。

東京でバリバリ仕事をしていること

費用対効果があるので車で移動すること

御飯を食べること

こうしてPCでブログを書くこと

など何をするにおいても何か目には見えない

『不謹慎の地雷』

を探り探りしながらの空気感がこの新たな月曜日にはまん延しているような気がした。

もちろん先週の金曜日の朝のように無条件には動けない。

しかし我々は動かなければならない。

だけども動けばそれは『不謹慎の地雷』を踏みかねないとみんなで様子を見て先に誰かに毒見をしてもらってから追随する感じもあるかもしれない。

これだけ品格も美徳も美意識も失って来た日本人は皮肉にも『不謹慎』レーダーだけはとんでもなく敏感にできている。

誤解を恐れず書くならば娯楽も癒しの一つである。

これだけ困窮した現状でテレビでは惨憺たる映像を見続けて被災地ではない場所でも精神的にはかなりきついこともあるかもしれない。

例えば美容室に行ったら節電節水にならないからそれは『不謹慎』なのだろうか。

でも美容室からすればそれこそが仕事でありこんな時でも前進せねばとやる気を奮い立たせて現場に行ったにも関わらずそこに来ることが『不謹慎』と言われたらそんなに悲しいことはない。

そういう時に僕はやったことがないがパチンコをしていたらどうなのだろう。

節電じゃないから『不謹慎』なのか。

でもパチンコ業界側からすれば突然お客さんが来なくなることはとても困ることとなる。

僕は毎日ジムに行くことが歯磨きの様な日常なのだがランニングマシンは節電にならないのでこれも『不謹慎』になるのだろうか。こちらも働いている人がいるが道を走れと言われればそれも確かだ。

このうように『不謹慎』にはハッキリとした境界線がないがどこに境界線を置こうとその境界線の向こうには必ず労働者がいることを忘れてはならないような気がする。

日本は未曾有の経済危機である。そこに未曾有の大地震が訪れた。

ただでさえ逼迫した日本経済は少子高齢化でそれに拍車をかけ破綻まっしぐらでありしかも実際に働ける生産人口が激減する中このまま疲弊していったら明日はない。

これは史上最強最悪の試練である。

関係ないが大地震には世界各国からハイスピードで救助隊が続々と来るが経済では全く来ないのは気のせいか。

そんな中労働力や働く精神力を落としてしまっては本当に株式会社日本は倒産してしまう。

明日からも多分『不謹慎』のボーダーを探り探りまさに空気を読みながらその『不謹慎』の領域を少しずつ狭めて行くはずだ。

阪神大震災から16年。まさにこの状況から始まり年々状況が変わって行き

この間の金曜日までは『不謹慎』ではなかった100のことの内98までは『不謹慎』の領域に入っている気がする。

それはもちろんそれで正しい。

しかし最初にも書いたように我々働ける人間はゴリゴリ働いて生産していかなければならないのも事実。

正直僕もこのブログを悩みながら書いている。

なぜなら誰もこの『不謹慎』のボーダーを明言してくれないからだ。



菅さんでもいいどなたかがある程度の指針を示して欲しい。

この『不謹慎』の領域はあらゆる意味で意外と大きな経済逆効果を生むこととなる。

慎まなければならない。

全ては控えめにしなければならない。

本当にそう思う。

しかし停滞はできない。

働ける人間はトンネルの先を掘り続けなければならない。

難しいリーダーシップが問われる。

おちまさと

逆に『不謹慎』とハッキリ言えるものは

例えば

阪神大震災時に本当にあったらしいが興奮して援助に来た素人が結果足手まといになりしかも現場の少量の食料を食べてしまうということがたくさんあったらしいが

これこそ
『不謹慎』

また今東京のスーパーやコンビニに行けば様々な食料やトイレットペーパーなどの日用品や懐中電灯や電池が売り切れとなっている。

これは福島第一原発の一号機が爆発してからのいたずらに恐怖を煽るチェーンメールなどで買い占めろ!ということが流れたからという理由が殆どだという気がする。

外出禁止令が出る西へ逃げろと偉い人から聞いたなどの三流SF映画的な話。

そんな中本当に電池がなければ病気でどうしても使わなければならないという人はどうするのか。

この間も書いたが救急車が近くに来ればドライバーは道を譲る。

今は救急車の前に我先にと渋滞を作ることと同じことが起きている。

これは
『不謹慎』
である。

一方ヘリでの視察で居眠りをした議員がいたとまさに『不謹慎』だ!とかいうニュースがあったがそれは『不謹慎』か。

多分今回の件で寝不足だったのだろう。

そこにヘリの揺れじゃかばうつもりじゃないが寝てしまうのもあるかもしれないのではないか。

枝野官房長官だって105時間ぶりにやっと寝れたらしい。

また自衛隊や原発処理の現場で働く方々の健康が心配です。







震災の直接の被災者の方々には心からお悔やみ申し上げるのは言うまでもないが、
何でもかんでも、喪に服すように単に「自粛」だけでは、
結局、日本経済が立ち行かなくなり、冒頭の写真のような「ゴーストタウン」に、日本の各所が陥ってしまう。



何のかんの言ってみても、最終的には被災地に「人」と「金」が回らないと、誰も幸福になれない。




もちろん、我々、直接被災していない人間は贅沢は慎むべきだが、
それでも出来るだけ速く「普通の」生活に戻らないと、被災地にとっても、巡り巡って復興にマイナスになってしまう。




ただし、そこに横たわるのが、おちまさと氏が言う「不謹慎」という概念である。





震災が発生して、一週間が過ぎ…




未だ、原発は小康状態で、緊張の域を脱し得ないし、
救援物資は満足に現地に届いていないようだし、




その中で、マスメディアを賑わすのが、
ちょとした失言、またはちょっとしたKYな行動…に対するバッシング。




いわば、「おめぇ、そりゃ不謹慎だろ」という、大合唱や、それをさらに煽るような論調。



特に、ネット上では匿名での発言が主たるものなので、
匿名であると、実に内容が辛辣。



そこまで、お前に言う権利があるのか?…と考えたくなるような中傷も多い。




だが、先ほども述べたように、
通常の経済活動に、個々が徐々に戻して行かないと、被災地の為にもならない。


無論、そこには配慮や礼節が必要だが、人の一言に対して揚げ足取りのようなことを繰り返していても、誰も幸せにならない。





その、「不謹慎」と、「復興に向けた正当な経済活動」の境界線は、誰も決められない。




だが、




もう少し、皆が少しずつ、「寛容」になる必要もあるような気がする。





許しましょうよ。


少しだけ。