76249bed.jpg

写真は自宅周辺の梨園の様子。


次の秋に向けて、小さな実が生り始めている。


春先の悪天候にもめげず、まさに自然のチカラ…












さて、その自然の力に逆行するかのような、我が人間たちの振る舞い。





先日、新聞記事で一人の女性の駅での電車との接触死亡事故について知った。



周囲の話を総合すると、
どうも事故直前、ホームで携帯電話を熱心に覗き込んでいたらしく、
前屈みで画面に集中していたところ、進入してきた電車と接触したらしい。







携帯電話を筆頭に様々なIT機器が普及し、
電車内やそこらかしこで、小さい画面に食い入るように集中する姿が見受けられる。





たまに電車内で確認してみると、車内の50%以上の乗客が携帯画面を注視していた。


自転車乗りながらはもはや当たり前で、自動車を運転中にも携帯操作している場面を目にする。




冷静に考えると、もはや異常としか言いようがない。




たとえば、人と会っている時にもデスク上に携帯を置き…


写真のように、呑み屋でも。



fecd85e4.jpg


恐らく友人同士と見受けられるが、
話の途中でも定期的に携帯画面のチェック。


もちろん、途中から合流する予定の友人からの連絡待ちか、
または仕事上でのっぴきならない連絡が入る予定があり、仕方なく確認しているのかも知れないし、
状況が見えないので、何とも言えないけれど…











子供の頃、よく親に

「テレビばかり観てるんじゃねエ!」


と、よく怒られたもの。





子供のころは反発もしたものだが、
この歳になって思うのは、やはりズーッと長い時間何かしらの画面などを見ているというのは、
やはり脳に良くないのではないか?……



ということ。



携帯電話にしろスマートフォンにしろ、もちろん仕事に使っているのだろうが、
実際にはその多くはテレビとあまり変わらないような使い方…



いわば、特に重要ではない情報を垂れ流し的に見ている方が多いように思う。







人は、眠っている時、

また、目を空中に移し、何も考えていないようなボーッとしている時間。



あるいは、人と話している時。


この時に脳内で、外部から入ってきた様々な情報整理をしていると言われている。






つまり暇さえあれば画面を注視していると、
その情報整理する時間さえなく、脳が疲れるし、
何より、いざ仕事に入った時にパフォーマンスが落ちるのでは?とも考えられる。







無論、私も携帯電話は使うが、
だから私は出来る限り、携帯電話を見る機会を少なくするように努めている。









まして、人といる時には極力見ないように。


どうしてもすぐ反応しなければならないメールは見るが、
それでも相手に「ちょっとすみません。これだけ返信させてください」と、ことわりを入れて。






何より、端から見てて、携帯画面を取り憑かれたように注視している姿は、決して美しくない。





第一、それで死んじまったらそれこそ元も子もない。






それに






今、目の前にいる人以上に、
重要な事柄というのは、そうは多くないと思うのである。






現代人は、一昔前に戻って、
もっとボーッとする時間が必要な気がする。





本来、人体に備わった情報整理システムを大切に。






電車で移動する時ぐらい、
人と一緒にいる時ぐらい、


せめて…







マナー、というより、

生き方の「美学」に近い気がするのである。








繰り返しになるが、もちろん私もIT機器は使うのだけど、
少なくとも、モノや情報に振り回されたくないな〜、


とは思っているのであります。