「ここがヘンだよ日本人」など、多くのテレビ番組で人気者になった、

「ゾマホン」こと、ゾマホン・ルフィン氏を覚えているだろうか。





覚えている、と云っては失礼かも知れない。





妙な外国人として珍妙なやりとりが人気だったが、
タレントのみならず、5冊の著書も出版しているインテリ系芸能人である。



また、出身国である西アフリカ・ベナン共和国の大統領特別顧問も務めている。





氏が日本で活躍するようになったのは、
そもそも母国の国立大在学中に日本に興味を持ち、
まずは国費留学生として中国に留学、
そこで知り合った日本人のツテで来日したのが94年。





東京・高円寺の38000円の風呂なしアパートに住み、
アルバイトで学費、家賃、生活費などを稼ぐ、超苦学生であった。




月曜日〜金曜日までは午前中、日本語学校に。

授業が終わると千葉の八千代まで電車移動して夕方6時までプレス工場で仕事。



そこからまた高円寺に移動し、夜7時〜9時過ぎまで「中国語センター」で、日本人やアメリカ人に中国語を教えるバイト。




さらに次は、
自転車で東高円寺に出向き、
夜10時〜深夜3時まで倉庫で荷物揚げ降ろしのバイト。





その間、就寝は朝5時過ぎ。

起床は7時。


睡魔に襲われ、プレス工場の仕事で、
左手人差し指を切断する事故まで経験した。






食事は1日一食。


一杯200円の牛丼で過ごしたそうだ。



コインシャワーに週3日。


たまに早く帰宅した日に、銭湯に行くのが最高の贅沢だったようだ。





96年に上智大学大学院(社会学)に合格してからも、


(これもスゴいが…)

学業とバイトに明け暮れたが、
98年に転機が。



たまたま給料が入った日にラーメン屋に入ったら、
プロダクションの人がいて、
「明日、TBSで外国人が100人くらい出る番組があるから出てくれ」
と、いわゆるスカウト。




今までやってきたバイトに比べたら、比べものにならない高い報酬に誘われ、出演。




これが、
「たけし×世界バトル。ここがヘンだよ日本人」

という番組で、その時のコメントやキャラクターが大ウケ。




その後テレビから引っ張りだこに。






その時の縁でビートたけしさんの付き人も務めつつ、
5冊の本も出版。



母国ベナン共和国に

「IFE財団」

日本に
「NPO法人IFE」

を設立。





教育や医療の普及を中心に支援活動を行い、
各界関係者の協力を得て、
「たけし日本語学校」や小学校を設立した。




売れっ子になった現在も、生活費をトータルで8万円台に抑え、
他の収入は全て財団に回しているそうだ。





最近ではデビューシングル
「どんぐり野郎」を発売。





「CDが売れたら、ベナンに井戸を掘りたい、
ひとつ掘るのに150万円掛かるから、たくさん売れてくれたら…」


というゾマホン氏。





CDなんか出しやがって…




という陰口もあるだろう。





だがしかし、
彼は祖国のため、
また好きな日本を学ぶ為、今日も生活を切り詰めて働いている。






今は確かに不景気だが、



彼がやっている事は偽善的に見る人もいるだろうが、





少なくとも、誰もが出来る事ではないし、
恵まれた我々には、色々考えさえられる…