「気のせいだよ…」



こんな言葉は日常茶飯事。





だが、「気のせい」の「気」は、
一体何のことなのか。





随分前の新聞記事に、
こんな事例が出ていた。











ある中学三年生が、胸の痛みを訴え、
母親と連れ立って病
院に来た。



医師が、どんな時に痛くなるのか?
て聞くと、

「腹が立った時に痛くなる」


という返答。




念のため、胸部レントゲンや心電図はとり、
全て異常なし、とのこと。






結果的には、「その症状が出た時に来てくれ」。と




そんなの無理に決まってるのに…







それはさて置き、
いわゆる「気のせい」というのは、
単なる「気の持ちよう」と片づけられ、
ある種の根性論と片づけられがち。




だが、「気」とは、
言わば目に見えない「力」の総称。


例えば、電気や磁気。



人間の身体の中には微量な電気や磁気が流れている。


だから筋電図や心電図がとれる。




そもそも、神経伝達は電気的な連係である。





また、「何となく気が合わない」と云うのも、
あるいは他人同士の険悪な雰囲「気」を察知するのも、
目に見えないエネルギー、
合わない波長を察知する為だろう。





「気のせい」と云うのは、
どうしても「気合い、根性」の類いと捉えられがちだが、
基本的には、「物事の考え方」。









つまり、考え方というのは、
「感情」とも置き換える事が出来る。






いわゆる根性、やる気、マイナス思考、負けん気、ポジティブシンキング…


全てが必要な「感情」であり、
「気」の構造でもある。






「気のせい」と片付けるのは簡単だが、
そのように考えてしまう事は、それを修正するのは容易い事ではない。




だが、その「物事の考え方」は、
確実に体内を流れる、目に見えない「電気・磁気」的なエネルギーを劇的に変化させる。





実は、パフォーマンスを揚げるトレーニング然り、
不調な身体を再生させる事も、
この考え方が基本になるのである。





逆もまた、真なり、

である。






「気のせい」は、一般的認識ほど、
浅い概念ではないのである。