私は近年、
アスリートに対するトレーニング指導に当たって、



「歯磨きのように」


というフレーズを多用している事に気付いた。




よく考えると、歯磨きの習慣は偉大なものだと思う。




親の真似やら、
学校教育の中での刷り込みやら、
朝起きたら、
食後は必ず…



と、教育的指導によって、
当たり前に歯磨きは励行され、もはや当たり前というか、
フツーの習慣になっている。




聞くところによると、
世界には歯磨き習慣が根付いていない国も多い、とも聞く。


(調べてないんで、真偽のほどは分かりまへ〜ん)




だが、歯磨きの習慣が刷り込まれている事で、
想像の域を出ないが、日本人は比較的、キレイな歯を保っているのではないか?



と思われる。





つまり…





「訓練」とは、、
やるべきことを、
何の感情も入れず、単純に習慣化することが大事ではないか…?



と。




恐らく、多くの日本人が、
特に気合いを入れて、朝、洗面所に向かっていないように、




やるべきトレーニングは、
感情も何もなく、
「歯磨きのように」
且つ
「淡々と、粛々と」
やり続ける事である、と説くのである。





例えば、
もし仮に、歯磨きを一年ぐらいやらなかったら…




想像もつかないが、
恐らく歯は汚れ放題だろうし、
その汚れを落とそうと思ったら、かなりの労力が必要と推察する。






つまり、現在の何気ない当たり前の状況は、
日々の当たり前な淡々とした習慣によって成り立っている、
と言うことである。




アスリートにとっては、
日々の当たり前の些細なトレーニングが、
習慣化されることによって、いつの間にか力になる、と。





つまり、歯磨きを当たり前と思うように、
やるべきトレーニングを、特に感情も入れず、
毎日の効果も考えたりせず、
ただフツーの日常の如く、
淡々と粛々と、
ただひたすら繰り返せ、…





と言うことである。


私が言っているのは。





「訓練」とは、
結局のところ、気合いは必要なく、
こういうものだと思うのである。




ちなみに、「鍛錬」は、
気合いがないと出来ないものかも知れない。






ま〜



あたし得意の、言葉遊びですがね〜〜〜