以前に札幌の知人が上京した際に不思議がって聞いたことがあった。



「東京の人は、電車の中でみんな携帯をいじってる」



みんな…はさすがにオーバーだったが、
それでも、そう感じるぐらいの人達が携帯画面を食い入るように見ている。




この話は一年前ぐらいのことであったが、
最近では、その状況に拍車が掛かっているが如く、
時間帯によっては車内の半数が携帯を凝縮している。




もちろん、車内でどう過ごそうが個人の勝手なのだが、
私もその一件以来、無性に気になり、且つ違和感を覚えるようになった。



そんな折り、ウェブ人間退化論―「社会のIT化」は「サル化」への道!?
という本をパラパラめくってみた。




要は、核家族化し、地域社会の繋がりも崩壊し、
町内会なども形骸化、
下手をする中学校以降、まともに大人と会話する機会が極端に減少してしまっている昨今、
圧倒的に人から受ける「刺激」が無くなり、そういうものによる成長の機会を失ったまま、大人になってしまった為ではないか?…



ということであった。




たしかに、携帯を凝縮している人達を観察していると、
表現が難しいが、何となく取り付かれているというか、
一心不乱な感じにみえる。



全ての人の携帯画面を確認できないが、
対して重要そうでもなく(大きなお世話)
ゲームか、何となくニュースを見ている様子…


もちろんメールを打っている人もいるが、
メールなどはそれほど時間が掛かるものでもない。





つまり、何となく退屈な時間を、
携帯で埋めている、という感じに見えるのである。





これはあくまで私の主観だが、
客観的に見ると、決して見栄えの良いものではないように思える。


携帯型音楽プレイヤーもそうだが、
外界というか、他者との関係を強制的に断ち切っている、という姿勢をヒステリックにアピールしているようで、
何となく違和感は覚えてしまう。



そんなこと言ってる私でも、携帯画面を見ることはあるし、
音楽プレイヤーも持っている。



だが、少なくとも「依存」はしていないつもり。




最近は、多くの人が、
携帯や音楽プレイヤーによって、
余りにも極端に、外界との関わりを遮断しているように見えて、
仕方がないのである。



加えて、思考も停止しているようにも思える。



携帯ゲームも普及し、移動中はゲーム、携帯、音楽…



無論、全てが悪くはないが、
移動時間などは、学生にしろ会社員にしろ、
次の行動への準備や、仕事の思考整理、
様々な考察に大変重宝する時間。



最近、若い人全般に見受けられるパフォーマンスの低下に、
このような側面も一因あるような気がするのである。





何度も言うが、携帯を見てはいけないとか、
ゲームや音楽がいけない、と言っているわけではないのだが…



余りにもそれぞれに集中し過ぎと言うか、
さして重要でもないことを、忙しく集約してやりすぎと言うか…






とにかく、「違和感」なんすよ、ね〜