あっという間に11月も半ば。


この年になると、判で捺したように、
この時期同じセリフを連発する。



「一年、早いね〜」




あたしなんか、
「ついこの間、年賀状書いた気がしますよ〜」
なんて、よく患者さんなんかと話したりする。



さすがにそれはオーバーだろ…
とも言われるが、
実感としてはホントにそんな感じ。





この手の会話は、あまり若い人はしないようだが、
歳を重ねると時間の進み方が違うからであるとも言われる。



それは、歳を重ねるほど、
何事においても「未経験」のことが少なくなるからである。




つまり、ほとんどの事柄が以前に経験してきていることで、
そういうことは段取りや対処なども分かっているが故に、
最初からストーリーが出来上がっている。



ある意味、始まりながら既に終わっている状態になり、
時間感覚が速く進行していくようだ。


まあ、もっとも未経験の事でも、
余りに入り組んだことだと、
それに忙殺されて、それはそれで時間が早く感じるが…





他にも、この時期、
定番の挨拶、

「めっきり冷えましたね〜」



暑くなったらなったで、
「暑くなりましたね〜」




毎年繰り返して起こる現象だから、
いちいち言わなくても良いじゃん、
てのは若憎の感覚。



こういう、当たり前の意味のない挨拶が出来ることが、
大人への登竜門。




若者たち、
こういう意味ない挨拶が出来て一人前。


覚えておきたまえ。







と、前置きはこれぐらいで…






先日もある患者さんとも話したのだが、
人ってやつぁ、歳を喰ってきて改めて感じることがある。




所詮、自分一人の力でやってきたことなどは、ほんの少しである、
ということである。



一見、
「オレ一人の力でここまで来た」
と息巻いても、そんなことは有り得ない。



そもそも生きて来られ、生活出来てこられただけでも、一人の力では有り得ない。
今使っている道具は誰かが作ったもので、
食べ物さえも誰かが採ったり加工したもの。



交通手段は誰かが操作し、道路や線路も同じ。



仕事も何から何まで一人で、ということも有り得ず、
もしかしたら「運」でさえ、
誰かの何かの力が関わっていないと起こり得ないかも知れない。



人を使う立場の人も、
実は自分に「使われてくれる」人がいて、その関係が成り立つ。
「先生」などと言っても、教わりたい人がいて成立する。




そのようなことは、
何も人ばかりではない。森羅万象、何かしらの目に見えない力によって、
人は影響を受け、
「生きている」のではなく、
実は「生かされている」のかも知れない。



目に見えない、もしかしたら物理的には存在しないかも知れない、
だが、確実に何かに支えられて「生きる許しを得ている」。




目に見えないが「陰の存在」。


それに対する感謝の気持ちが、

「お蔭さまで…」

という言葉、想いなのであろう。



もちろん、部下の方や自分に付いてきてくれる方々、
明らかな「お蔭様」には心からの感謝の意を表すべきである。




たとえ不器用であっても、
何らかの形で。




それは「有り難い」の精神にも通ずる。
(以前に当blogで書きました)