2年以上もBLOGをやっていると、
題名をつける時に「前にも同じ題名で書いたかも?」
と思うことがしばしば。


この題名も過去に使ったかも 知れないが…


確認するのも面倒なので、このまま行きますわ…




さて、昨日で3カ月に及ぶ「パーソナルトレーナー養成コース」が無事終了。
受講されていた方は、仕事のスケジュールを調整したり、何かを辛抱して参加されていたはず。
長い間、お疲れ様でした。


以前は任されたコマだけを講義すれば良かったが、
主任講師としてカリキュラムから運営までを任されると、
受講者の最終認定の合否や、もしかすると卒業後の行く末まで責任が生ずることになる。
そういう意味では、ある種のプレッシャーを感じざるを得ない。


先日、高名なパーソナルトレーナーの方と話す機会があったが、
「パーソナルトレーナーが売れない、という声も聞くが、自分の実感としては至るところにニーズがあり、潜在需要は計り知れず、もっとパーソナル専門の人が増えるべき」

と話していた。




私は現在は、パーソナルを活動の主体にはしていないが、
パーソナルトレーナーと言うと、どうしても
「神技のような指導テクニック」
が不可欠のように考える人が多い。



確かにそれはあるに越したことはないのだが、
どんな技術も使いこなせなければ「無い」のと同じ。
単に目先を変えてクライアントを一時的に引き付けるのは、
長い目で見た場合は得策とは思えず、
第一、そこの浅い技術や知識は、あっと言う間に見透かされる。



そういうことよりも、
当たり前のことをオーソドックスに、
親切心を以って、基本的に「愛」を全面に出して、
そのクライアントにとってベストな事柄を提供する、
「情報選択」の能力が必要だと思う。


例えば格闘技などでも、
様々な技を使いこなせたとしても、
実際に相手を倒す技は、せいぜい一つか二つ程度のもの。
むしろその技に持っていく過程が重要だったりするのである。


私は、目的がパフォーマンス向上であっても、
はたまた身体の不具合の改善や除去であっても、
基本は常に、

「循環の改善」
「可動性の改善」
「平衡性の改善」

でしかない。


そのために、どうすべきか、どの技術を適用すべきか、
という選択でしかない。
一見、同じように見える技法であっても、目的によって全く異なる意味を持つ場合もあるし、
対象者(クライアントや患者)によって、
同じことを説明するのにも、違う道筋でプレゼンすることもある。
目的は常に
「理解→納得→実践→効果」
でしかないからである。


つまりは、習得した知識や技術が、
一見、オーソドックスなものに見えたとしても、
それを状況によってどのように「編む」かが問われるのだ。
いわば、優れたトレーナーは、優秀な「編集者」であるとも言える。



ただ勉強して、新しい技術を求めて業界を漂流するのも良いが、
そのような観点を持って欲しいのである。
そうでないと、いくら勉強しても「不安」は払拭できない。
常に不安なだけで、永遠にそれが続く。


この世界でそれなりに成功したいのであれば。


ぜひ皆さん、
月並みですが頑張ってくださいませ。