a thinking decoさんのblogで、「コーチング講座を受講しました」を拝見して。
私も、自分なりの自己流「コーチング」について、考えたり語ったりしていたので、
きちっと勉強されている方の話は、大変参考になります。
  ――「昨日は第一回目ということで、コーチングと
     いうよりはコミュニケーションとはなんぞ
     や?というところに焦点を絞った実習を行い
     ました。」

やはりそうなんですよね。
全てはこれがスタート何ですよねぇ。
でもここが「響く」人が少なくて。


  ――「コミュニケーションはキャッチボール。
     聞き飽きたフレーズです。それこそ、耳に
     たこができるくらい教わってきたこと。
     でも、実は教わっただけで、自分の身になっ
     ていなかったんだと、この講座を受けた後に
     思った。聞き飽きた言葉が、受講後には新鮮
     な言葉に変わっていました。」――

私は本格的に講座を受講した事は無いのですが、
様々な方から教えをいただいた事があります。
「分かっているつもり」でも、それは「知ってる」だけで、
「分かっていない」事って、多いんですよね。
でもいつも思う事なのですが、こういう講座のようなもの
を受ける場合、如何に自分の頭の中を「真っ白」に
出来るかですよね。
私もまだまだ時々、既に自分の知っている知識が
頭の中に「先入観」を形成してしまうので、
それを打ち消すのに必死なのですが…。
a thinking decoさんはそこが出来ているのが素晴らしいです。


  ――「じゃ、上手なコミュニケーションを取るため
     にはどうすればよいのか。
     簡単です。キャッチボールと同じ要領で、相
     手が取りやすいボールをきちんと投げ返して
     やるということに意識を集中させる。        
     そう考えるとすごくコミュニケーションとい
     うものを楽に捉えることができる。ただ巧く
     相手が取りやすいボールを返すだけでいいん
     ですから。かっこいいこと言おうとか、面白
     いこと言おうとか、そんなこと全く考えなく
     てよくて、ただボールをきちんと返してやる
     ことを考えておく。そうすれば、誰でもコミ
     ュニケーションの達人になれるんだと思いま
     す。傾聴するとかうなずくといったことは、
     巧くキャッチボールをするための方法の一つ
     なんでしょうね。」――

自分もやっちゃってますねぇ。
つい自分で回転の良いと思うボールを投げちゃう事。
自分では見事なキレ、と勝手に思っている変化球。
特に専門学校の講義で学生相手に、注意していないとついやってしまいます。


私も振り返ってみると、何故か常に指導的な役割に立たされていました。
(これ、自慢話にとられると困るのですが、本当に巡り合わせが重なってお鉢が回ってくる事が多かったので。)
でも、その度に挫折と後悔と懺悔の連続で…。
(周囲からは“うまくやってんじゃん”と思われているみたいなのですが、心の中は葛藤だらけ)


その後も、まあ自分で望んだ事ではあるのですが、
職業が
「トレーナー」…選手のいわゆる「身体操法コーチング」
「手技療法師」…患者さんに対するいわゆる「健康コーチング」
「様々な講師業」…受講者に対して導くいわゆる「知識・技術コーチング」

という事になり、「コーチング」という考え方は避けては通れない環境に立たされています。
自分が教えを受けた方がよくおっしゃっていたのは、
「人に伝えようとする時、“自分が何を伝えたいか”を考えるんじゃない。
 それは“プレゼンテーション”という方法論だ。
 そうでは無くて、まず“相手が求めている答えは何か”を考えろ。
 何を求めているか相手が分からなかったら、それを引き出せ。
 それが“コミュニケーション”であり“コーチング”の原点だ」
という言葉です。


ちなみに「教育」を意味する「education」。
これの語源は「educe」―引き出す―という事のようです。

「コーチング」とは「引き出し(能力・要望)」て、
「応える・答える」事なのでしょうねぇ。
その為には「コミュニケーション」だと。


自分ももっともっと勉強しないと。
a thinking decoさん、またよろしくお願いします。
まだまだ修行は続く…。