読売新聞で、私の記憶の範囲では約2ヶ月ぐらい前から「日本語の現場」というコラムが連載されている。
この連載を読みながら、自分の不勉強さに恥ずかしくなるのだが、機会があれば引用してblogを、と考えていて、今日突然思い出した。ある回の記事、
≪「とんでもない」言い回し?≫から。
<読売新聞の記事(2004.6/4)「とんでもない」言い回し?より>
ホテルのフロント係に何か面倒な要件を頼んだとき、こんな会話を交わしたことはないだろうか。
 「お手数をおかけしますが、よろしく」
 「とんでもございません、お客様」
 接客で、この「とんでもございません」の使用を封じているのはホテルオークラ。「ことばのマニュアルより」と題した社員向けの社内メールで、「とんでもないことでございます」と言うよう指示している。
 「とんでもない」は「思いもかけない、望ましくない」などの意味のほか、相手の言ったことを強く否定するときに使われる。「ない」の部分を丁寧に表して、「とんでもありません」「とんでもございません」になったようだ。
 ところが、「とんでもない」の「ない」は、「危ない」「せつない」の「ない」と同じで、「無い」の「ない」ではない。「危ございません」「せつございません」とは言えないように、「とんでもございません」も文法的には誤り。ただ、語調がいいためか、多くの人が自然に使っている。
 手元にある十一社十八種類の国語辞典を調べてみると、「とんでもございません」に触れているのは七種類。明鏡国語辞典(大修館)が「『とんでもありません』『とんでもございません』の形でも使う」と是認しているほか、は「『とんでもないことでございます』の新しい言い方」と説いていた。
 「誤用」をにおわせるのは新選国語辞典(小学館)と集英社国語辞典の二種類だけ。国語辞典では、「とんでもございません」という言い回しが追認されそうな勢いだ。
 国語辞典よりホテルオークラの方が、言葉に厳格な姿勢を貫いている。おもしろい現象ではある。
―<以上、引用終了>―


実は何を隠そう、私も長い間使っていた。
この記事の半年ぐらい前に、別の雑誌でも同様の記事を読んで気をつけてはいたのだが、やはり長年の習慣はそう簡単には消し去れない。内心では「まあ皆気付いて無いし、良いか」なんて考えて自分を甘やかしていたが、全国紙に出てしまうと、もはや逃げられない。


しかし、これに類する事は沢山あるだろう。
これも1年前ぐらいに知ったのだが、「確信犯」。


恐らく一般的には「悪いと分かっていて、つまり悪い事を自覚・確信して犯罪を行う者」という解釈であろうと思われるが、実は本当の意味は違う。
本来の意味は「道徳的・宗教的、又は政治的信念に基づいて行われる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯などに見られる。」という事らしいのだ。(by広辞苑)


私も本来の意味を知ってからは気を付けてはいるが、しかし現実問題として、ほとんど本来の意味を知らずに使っている人が圧倒的多数だと思う。少なくとも自分の周辺はそのような人がほとんどだ。
かと言って、それをこれ見よがしに「違うんだよ、実は本来の意味は〜」などと偉そうに薀蓄を語るのもイヤらしい。だからその点は聞き逃して、会話は滞りなく成立していっているのである。これが“大人”という奴だろうか。
前述の「とんでもございません」は気を付けたいが、これとて聞かされている側も、実際には違和感は少ないだろう。言い訳をするつもりは無いが、もしかするとこのようにして新しい「日本語」というのは作られていくのかも知れない、とも思う。


これだけ本来の使用法からすれば誤った認識が広まった後だと、むしろ正しい使い方の方が「それおかしいだろう」と、誤用に受け取られてしまいそうだ。世の中結局、多数派が主流になってしまうので。

かくして私も、結局は多数派で過ごしている今日この頃である。「新しい日本語」として認知される事を密かに願いながら。